The regret 俺の名前は北川潤。3月現在で歳は17。現役高校2年生である。チャームポイントは茶色い髪にピンと立っている癖毛。 俺の親友――と呼べるであろう人物――はこの癖毛を「アンテナだ」と言い放った。このときは少しばかりカチンときて、口喧嘩したのを覚えている。 そして、俺は一つの特技……というより得意な事があった。 それは『人を見る目』があると言うことだ。これはその言葉の通りだと、人の人柄や能力を見抜く能力があるということだ。 しかし、俺の言うそれはちょっと違う。この『人を見る目』というのは、人の本質をほんの少しだけ見抜くことが出来る能力だ。例えば、少し仲のいいクラスメイトなら、期末テストの自身があるかないかが分かる。俺には、見栄を張っていて実は自信が無くて不安か、本当に自信 ェあるのかが分かってくる。会った人の考えていることや感情、性質が外見にとらわれること無くなんとなく分かってくる。 この能力のおかげで、人付き合いにおいて大きな問題を出した記憶は無いし、いい友人にも会えた。もちろん許せなくて喧嘩とした、等ならいくつかはあったが。 今でも人間関係はすこぶる快調……とは言えなかった。 別に喧嘩が原因で絶交した奴が近くにいるとか、そういう事ではない。もっと単純で、それなのに複雑な関係。 この『人を見る目』っていうのは、仲のいい友人であればあるほどその人間の本質がは段々と分かってくる。 もっと仲がいい友人なら……分かってしまうのだ。なんとなく。友人の恋というものが。 俺には好きな人がいる。その人とは、現在ではいつも笑って話し合える程仲がいい友達だ。 しかし相手も気持ちが見えるという事は、自分の恋が成功するか否かがすぐに分かってしまう。 だから、怖かった。叶わない恋に立ち向かって行くという事が。それになおさら自分の気持ちなんて出せなかった。 ……あいつの好きな人が俺の親友という余計なおまけがついている。 「ありがとうございましたー」 コンビニの開いた自動ドアから、女性店員の明るい声を背にして俺――北川潤――は出て行った。 この雪が降るのが日常である北国のとある街では、さも当前のように真っ白な雪が降っている。俺はコートの襟を寄せながら、白い息を吐き家路についた。 俺はなかなか眠れない気分を変えるために散歩がてらコンビニに行った。しかし身を切る寒さがさらに眠気をふっ飛ばす、といった逆効果しかなかった。 雪の降る夜の道をゆっくりと帰る。空は雲に覆われた月がぼんやりと光るだけ。 夜になると眠れなくなる、といった事は度々あった。夜になって一人で部屋にいると色々と考え込んでしまうからだ。通常は眠気の方が勝って眠りにつくのだが、時々眠気が負けてしまうことがあった。 それに一人で考え事をすると何故かネガティブな方向に考えがちだった。今日は……俺の恋愛についてだった。 あんな風に考えてきていた自分に嫌気が差して、それで気分転換にコンビニに行ったのだ。 降ってくる雪と輪郭のぼやけた月を見ながら、自分の好きな相手に思いを馳せる。――絶対に叶わぬ恋を―― そうして俺は家路の途中の交差点に差し掛かった。ここは通行量も普通の交差点。何時も通り何の気なしに交差点を渡った。 この時、一瞬やな予感が俺の体を走った。背中をぞっとした何かが走る。 その答えを知る瞬間には、耳に入ってくる甲高いブレーキ音と、真っ赤な車が視界に入った。その赤はまるで自分の血を象徴しているかの様だった。 「だー、名雪! もっと早く起きれんのか!」 「努力はしているよ、祐一」 「なら結果を早く出してくれ。それまで俺の体がもつか分からん」 「ひどいよー、祐一」 誰もいない朝の通学路を必死に走りながらも会話を交わす男女が一組。俺こと相沢祐一と俺の従姉妹の名雪だ。 誰もいない朝の通学路と言えば、大体むちゃくちゃに早いか絶望的に遅いかの二択なのだが、俺がこの街に着てから前者を経験した記憶はない。要は遅刻寸前だということだ。 名雪がこれは芝居じゃないのか、と思う位にに朝が弱いため登校の8割はこのように走って通学している。これでいつも間に合うのだから不思議なものだ。 こうやって登校している間に、気付けば会話をしながら全力疾走という全力とは思えない行為が可能になってしまった。そうやって喋っている間に学校につく。横目で時計盤ちらっと見たが、まだ時間は大丈夫な様だった。 「よし、歩いていこう。名雪」 「うん」 俺と名雪は靴を履き替えると歩いて教室に赴いた。 「おはよー」 「おはよう」 朝の挨拶と共に教室に入る俺たち。しかし、教室から帰ってくる反応がおかしい。教室の雰囲気も普段より明らかに暗くなっている。 「おはよう……」 そんな中、席を座った俺たちに香里は返事をしてくれた。しかし、その香里もいつもの明るくクールな表情でなく、教室の雰囲気以上に暗い表情をしていた。 「おはよう、香里。どうしたの? 暗い顔して」 さすがの名雪も香里の様子がおかしいのに気づいている。教室の雰囲気がおかしいのも分かっているようだ。 「えぇ……実は……」 ガラッ 香里が重そうに口を開いた瞬間、教室のドアが空き担任が入ってきた。香里もそれを見て横にしていた体をを前に戻した。しかし、担任も表情が暗い。何かあったのだろうか。……そういえば北川がまだ来ていない。俺の後ろの席は空っぽだ。 「あー、みんな知っているかもしれんが、悲しい事件が起こってしまった」 担任の最初の挨拶は、いつも通りのものとは違う暗いトーンの台詞だった。 ……この次の瞬間、俺は今も夢を見ているのだろうと本気で勘違いしてしまった。 「北川潤が昨日の夜、交通事故に会って……亡くなった」 俺は今北川の葬式に出ている。天気は良く雪は降っていない。名雪も香里も、クラスメイト達も来ている。 しかし、白と青の模様が織り成す空のように晴れやかな雰囲気はここに無い。周りにいるクラスメイト達……女性はほとんどその目に涙を溜めるか流しており、男子生徒にもそういう人達が何人かいる。 ――俺は泣いていない。 別に友人がいなくなった事に関して何も感じない、ということではなかった。ただ、隣で名雪が泣き、香里も声は出してないにしろ涙を流している。そんな状況で俺が泣けば、名雪達をさらに泣かせる……というよりも自分がどうなるか自信が無かった。どうにかなってしまいそう ナ、そうならない。そんな正常と狂気の境界線上にいる……そんな感じだった。 地位の高そうなお坊さんがお経を読む中、必死に自分の気持ちを落ち着かせる。しかし、あいつともう会えないと思うと、胸が苦しかった。悲しかった。嫌だ。いろんな感情が俺の中に渦巻く。それと同時にあいつの顔が浮かび上がってくる。 朗らかに笑った顔、真剣な顔、不適な笑顔。いろんな表情が俺の中を駆け巡る。 と、お経が終わり次は棺桶に花を添えるらしい。北川の家族が前でそうやっている。 ――両親と、妹が2人―― 知らなかった。あいつに妹がいたなんて。あいつのそんな素振りや台詞なんて聞いた記憶が無かった。まだ自分は北川のいろんな面を知らなかったことを、まざまざと叩きつけられた気分だった。 棺桶の中にいる北川を見て、慟哭する家族たち。それを見てさらに胸が締め付けられる思いがする。 そうしている間に俺達の番が回ってきたらしい。俺と名雪、香里は席を立ち棺桶に向かって歩いていった。 あまり距離が無いはずなのに、とても遠くに感じる。足が震えているのが自分でも分かる。 親族に礼をすると、俺達は花を受け取り棺桶の前に出た。 白い顔の北川。正直、あまりにも静かな顔なので寝ているのかと思ったぐらいだ。だが、もう二度と目覚める事の無い閉じた目。そんなあいつの顔を見た瞬間が、俺にとっての皮切りだった。 「あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ、き、きたが、わぁっ……」 泣いた。慟哭した。普段出さないような大声を。今まで奥に溜まっていた涙が止め処なく流れていく。我慢なんて出来なった。 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」 背中を名雪が摩っているような気がするが、分からない。もう自分の感情を表に出すだけで精一杯だった。 ……正直、この後の事は記憶にあまり残ってない。まるで抜け殻のようだった、と名雪は言っていた。 その少ない記憶の中に残っている事といえば、箸で拾った軽くて白い骨が、ただただ悲しかった。 そうやって葬式も終わり、俺たちには止まることのない日常が流れ込んできた。 ――ただ、その中に北川がいない―― そんな違和感が付き纏う中、止まることを知らない時間と日常。時間というのは思った以上に残酷な物で、気付かないうちに感じていた違和感も少しずつ薄れていた。 そんな自分に気付き、正直自分に嫌気が差した。嫌が応でも体や精神は周りの状況に慣れていってしまう。分かっていてもそんな自分を白状だと思っていた。 そんな気持ちを抱えたまま、俺は学校から商店街へと歩を進めていった。 相変わらず身震いするほど寒いが、少しずつ暖かくなってきた風を受けながら特に目的などなく商店街をとぼとぼと歩いていく。 その時、ふと視界に見慣れた……しかし二度と見ることのないはずの姿が現れる。 「……は?」 「よぉ」 そいつはいつもの制服を着て、いつもの笑顔で返事をした。今の俺は思考が完全に止まっている。 「おま……おま」 俺は指でそいつを指しながら、言葉を紡げない情けない声を出している。 「……ついてきな」 俺とすれ違いながらボソッと耳元に声がする。というよりも俺は声が聞こえるまであいつが動いたなんて分からないぐらい混乱していた。 「あ……あぁ」 その言葉にいくらか冷静さを戻し、俺はあいつが歩いていくあとに従って行く。 商店街の細い横道を抜け、しばらく歩いていくと何処か知らない並木道に出た。 「……北川……なのか?」 「あぁ、そうだぜ」 まるで当たり前の様に言い放つ北川。しかし、どう考えてもおかしい。俺は死んだあいつの目の前で慟哭したことを今でもしっかり覚えている。なのになぜ、北川はここにいるのだろうか。理解できない状況が俺を再び混乱に導こうとする。 「訳わかんない……って顔だな。ま、俺も最初は信じられなかったが」 「……生き返ったとか?」 ほんの思いつきで言ってみる希望。 「いいや。死んでる。それは間違いないさ」 しかし帰ってくるのはその希望を打ち砕く現実だった。北川は何故かあっさりとその事実を放ってくる。 「じゃあ……なんで」 「……意外と分かんないもんかなぁ? 幽霊だって幽霊」 俺の知識と記憶している幽霊とはこんに軽いものでは……あった。 「オッケー。幽霊ってのは分かった……じゃあ何故幽霊に……」 前例を知っているが為に、嫌にあっさりと現実を受け入れてしまう自分が不思議だった。まだ混乱しているのかも知れない。 「お前なぁ……幽霊がこの世に出てくる理由って分からないか?」 「……未練?」 「ビンゴ」 後悔がある幽霊に、あからさまに軽いポーズとかで指を指された日には後悔の意味を疑いたくなる。 「……未練……って一体なんのだよ?」 「分かんないのか? それも」 「……別に全然」 俺の記憶している限りでは、北川にそんな様子や雰囲気を感じ取った記憶はない。 「俺な、美坂が好きだったんだよ」 「……そうだったのか」 空を見上げながら告白する北川に俺は多少驚いたが、美坂チームでのあいつを思い出すとなんとなく納得がいった。 「それが後悔になってこの世に出てきたのさ」 そういって見上げた顔を見下ろす。 「へぇ……」 「ちなみに俺が見える奴って、俺の後悔に一次的に関わった奴だけなんだ」 「……そうなのか……ってなんで俺はお前が見えるんだ?」 あいつが言うことがそうならば、俺は北川が見えてないはずだ。なんせ俺は北川の香里への想いについてなんて知らないし、直接関係した事もない。 「俺の主観からみて、一次的ってことだ」 「余計訳分かんないんだが……」 「まぁ、気にするな」 そういうと、北川は再び空を見上げる。俺もつられて空を見上げた。いつの間にか空は夕焼けで赤く染まっている。 「つーことでさ。美坂を呼び出してくれないか?」 「それは構わないが……」 俺は髪をくしゃっと掻くと、香里の家へと歩を進めた。しかし、ふと足を止める。 「そういえばどこに呼べばいいんだ? ここか?」 「相変わらず抜けてるな。お前。場所は……」 「ねぇ、なんなのよ。相沢君」 「まぁついて来りゃ分かる」 俺は香里を家から呼び出し目的の場所まで連れてくる途中だった。 すっかり日も落ち辺りは暗く、光は街頭やら家からこぼれてくる明かりしかない。 二人とも黙って歩いている間に、俺は香里を連れて目的の場所に到着した。 噴水のある公園。暗くなったせいで噴水に綺麗なイルミネーションがついている。しかも周りには誰もいない。 いい雰囲気の公園だ。北川が告白の舞台をここに選んだのも納得がいく。 「着いたぞ」 「ってここ普通の公園……っ!」 噴水の影から北川が姿を出してきた。その姿を目にした香里はびっくりしている。やはり香里にも見えているようだ。 まぁあいつの後悔の直接的な原因だから当たり前か。しかし、今だ俺があいつを見ることが出来る理由が分からない。 「北川君!」 そういって香里は北川に近づいていく。俺は綺麗な噴水を挟んで立つ2人を見ながら、言いようのない何かを感じていた。まるで胸に何か突っかかっているような…… 「上手くやれよ、北川」 俺はボソッと呟くと公園を後にした。今、俺はお邪魔にしかならない。おとなしく家に帰っていくのが得策だろう。 ……そう考えてから、なにが得策なのか自分でも分からなかった。 「北川……君」 美坂が目の前で驚いている。目に少し涙が溜まっているようだ。 「久しぶりかな……美坂」 俺は今までの笑顔を美坂に向けた。今考えると、この笑顔は自分の仮面だったような気がする。美坂が俺の気持ちに気付かせない為。 ――俺自身がが美坂の気持ちに気付かない様にする為―― 嘘は自分を欺くため、というのを聞いたことがあったが今なら納得がいきそうだ。 しかし、その笑顔もこれで終わりだ。これは俺の最期の足掻きだ。 「どうして……なんで……」 まだ美坂は混乱しているらしい。さすがに学年主席でも幽霊と言う存在まではぱっと受け入れられないようだ。 「実はな……」 俺は美坂に自分の事を話した。俺は間違いなく死んでいること。今は幽霊としてこの世にいるということ。 まだ後悔の事に関しては触れていない。 「じゃあなんで幽霊なんかに……」 「お前も相沢と同じ質問するんだな……死んだ人の霊がこの世にいる原因と言えば?」 「……後悔や、未練」 「そ、当たり」 そう言って俺は相沢にしたのと同じようにポーズをとる。まさに『当たり』といわんばかりのポーズを。 「ちなみに俺が見える奴も、その後悔に一次的に関わっている奴だけだ」 これらの知識は、昨日幽霊になった瞬間に頭に入っていた。まるでどっかからその情報が頭の中に直接飛んできたみたいだった。 「……私が関係してるの?」 不思議な顔をしながら質問をしてくる当たり、俺の気持ちに気付いてないようだ。それほどまでに俺の仮面は上手に働いていたらしい。複雑な気持ちだ。 「あぁ……実は」 真剣な顔に戻り、ここまで口にした瞬間、一気に喉が渇いた。 それだけじゃない。膝も笑おうと力が抜け始めるし、心の奥から暗い気持ちが吹き上がってくる。この暗いモノは不安だ。言い知れない不安が一気に俺を襲ってきた。 「実は?」 美坂が続きを聞いてくるが、俺はその場に固まったように喋れなくなってしまう。 怖い。死んで何の恐れも無く告白することが出来ると思ったが、そんなに簡単なものではなかった。 実際、死んだときの恐怖と言うのは感じなかった。そんなものを感じる事無く死んでしまったから。 もしかすると、死ぬときの恐怖というのはこんな感じに似ているのかもしれない。絶対逃げられない絶望。 諦めたくても諦めきれない。今では、そんな絶望になってしまうほど積もり積もった想いだった。 「実は……」 それでも言わないといけない。後悔は終わらせないといけないから。俺はそのためにこの世界に一瞬でも戻ってきたんだから。 「美坂の……美坂香里のことがずっと好きだった」 口から出た言葉はなんの飾り気もない言葉だった。声も上擦ってる気がする。 「…………」 俺の告白に目を見開く美坂。俺の言葉にびっくりしている様子だった。言葉を代弁するなら、そんな事全然知らなかった、というところだろうか。 しかし、俺にはこの次の台詞が分かっていた。この恋を伝えられなかった原因。いわば俺が幽霊になってこの世界に戻ってきた原因。 「ごめんなさい、私……相沢君が好きだから」 ぽつ ぽつ さぁぁぁぁ―― この街の、この時期には珍しい雨が降ってきた。 「ありがとうございましたー」 コンビニの開いた自動ドアから、女性店員の明るい声を背にして俺――相沢祐一――は出て行った。 その手に握られているのはコンビニで売っている安いビニール傘だ。突然雨が降ってきたので近くのコンビニを探して買ってきた。 この街には逆に珍しい雨。俺は久しぶりに雨が傘を叩く音を聞いた。そうしてふと思った。雨とはこれほどまでに騒がしいものだったのか、と。 雪と違い、雨は降るときに傘や地面に当たってさまざまな音を出す。俺は久しぶりに聞く雨が奏でるメロディーに目を瞑り耳を傾けた。 『俺な、美坂が好きだったんだよ』 正直、自分の気持ちは良く分からない。俺の周りには俺にはもったいない位いい娘がたくさんいる。香里もその一人だ。 これはやっぱり恋なのだろうか……。だとしたら何時からだろうか。気付いたら、といった表現が一番いいのかもしれない。 あいつがあんな事言ってから、どうも気になって仕方が無い。俺は、一瞬香里と北川が抱き合いキスをする場面を思い浮かべる。 「くっ」 頬に当たる冷たい感触に、俺は傘の柄を思いっきり握り手が震えていることに気付いた。 「……はぁ」 どうにも落ち着かない。香里と北川の事が気になって仕方がないのが自分でも分かる。 「あいつらどうなったんだろう……」 一回気になると余計気になる。俺の悪い癖だ。俺は逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと公園に向かっていった。 パタパタパタ 傘に当たる雨の音が、今は自分の気持ちを焦らされているような気がする。俺は自分の足元が濡れるのに構わず公園へと走っていった。 「ハァ、ハァ」 公園の入り口で立ち止まり呼吸を整える。この先に待っているのは、誰もいない公園だろうか。それとも……二人ともいる公園なんだろうか。 ゆっくりと公園に足を踏み入れる。いくらか呼吸は整っていても心臓はバクバク脈打っている。 「北川……」 公園にいたのは、北川一人だった。 「よぉ、相沢か」 「どうした。雨の中立ち尽くして」 しかし、北川は幽霊のはずなのに濡れているように見える。気のせいだろうか。 「……フられたよ。だからか知らないけど、雨に打たれてる」 どうやら気のせいではなかったようだ。彼の髪は重くしな垂れ、制服も肌に張り付いているようだ。 「そっか……」 「……なぁ、相沢」 空を見上げながら俺を見ずに語りかけてくる北川。その目は堅く瞑られている。まるで泣かないように、流した涙は雨に流そうとするようだった。 「なんだ……?」 「この街ってさ、雪が降る方が雨より断然多いんだ」 「分かってるさ」 そんなことはこの街に来てから身に染みて分かっていることだ。 「雪ってのは嫌なほど触れてきた」 「あぁ」 「冷たいよな。雪」 「そんなのは当たり前だろ」 当たり前だ。0度よりも低い氷の結晶。冷たくない訳がない。 「でも……」 「でも?」 「雨の方が、冷たいな。なんでだろ」 その言葉に、俺は押し黙ってしまう。何も言えなかった。自分がとるべき行動が分からない。こんなこと初めてだ。 「俺ってさ、知ってたんだ。この結末……フられるって事」 「そうなのか?」 そう聞くと、北川はゆっくりとこっちに顔を向けた。既に開かれた瞳は、優しくて寂しく感じた。 「あぁ……だって」 美坂は相沢のことが好きだから。 一瞬、言われた事が何なのか理解できなかった。しかし、混乱している俺に北川はさらに言葉を投げかけてくる。 「俺は人を見る目があるからな。分かるんだ、そういう事。それに……」 そして相沢が美坂を好きな事も。 俺はさらに自分の頭が真っ白になる。もう、何がなんだか分からなくなってきた。 「な……あ、お……」 上手く言葉が出てこない。出てくる言葉も何故か思いつかない。俺が言いたかった事が分かるかの如く、北川はいつもの軽い笑顔を浮かべている。 「分かるって。今はお前の中で小さなモンだけどな。いつか気付くさ」 俺はただ驚いたままその言葉を聞いている。多分顔も驚いた表情なのだろう。目を見開き、口をぽかんと開けた表情。間抜けな表情を自分がしてるのが分かる だからだろうか。こんなに驚いた事を聞かされたせいで、今までの北川の状態の変化に気付けなかった。 今北川の体から、白く細かい光の粒子が出て行っているのに気付いた。 「おい……北川、それ」 俺は北川の体を指す。 「ん?……あぁ、どうやら終わりらしいな」 「終わりって……」 「そりゃ後悔は一応なくなったんだ。未練をなくした幽霊は成仏ってのが定石だろ」 いつもの調子で話す北川。体から出てくる光の粒子は、目に見えて増加している上、粒も大きくなっている。 俺は慌てて北川に近寄り、肩に手を置こうとした。しかし、すっとすり抜けてしまう。 「もう体も……」 「あぁ、すり抜ける。さっきから雨も当たってない」 本当に未練も何もないような、あっけらかんとした表情をする北川が、正直信じられなかった。 確かに、未練はないのかもしれない。北川は『美坂が好きだ』と言ったが、『美坂と付き合いたい』とは言っていない。ということは、想いが伝えられれば良かったという事なのだろう。 「相沢……最期にこれだけは言っておく」 「なんだ?」 「……美坂を幸せにしてやってくれ。お前なら出来る」 北川が見せる。真面目な顔。めったに見ることはない、というよりも今まで見たことが無かった。 「……保障はしないが、分かった」 「もし……出来なかったら、化けて出るぜ」 「はは……勘弁してくれ」 ちょっと冗談に聞こえない。と相沢は口に出しそうになり、止まる。 そうやって会話をしながらも、北川の体は段々と見えなくなり、今はもうほとんど見えない状態になっていた。はっきりと見えるのは、顔の表情だけ。 「じゃあな。本当に最後のお別れだ」 「あぁ……」 「相沢……俺達……親友だったよな」 もちろんだ、といった時には北川はもう消えていた。暗い夜空に見えるのは、空に舞い上がっていく小さく白い砂だけだった。 ――あの出来事から数年後―― ビョウと強いが気持ちがいい風が吹く、とある霊園。 そこにある『北川家乃墓』と刻まれている墓の前に、一組の男女が訪れた。 相沢祐一。あの頃の少年のような顔は既に一人の大人の顔に。 美坂香里。その姿は以前にも増して美しい、大人の女性に。 北川が入る墓に水を流し、花を添え蝋燭に火を灯し線香をあげた。 俺と香里は静かにしゃがみ、手を合わせ目を瞑る。 再び、ビョウ、と風が吹く。蝋燭の日はかろうじて消えず、線香から流れる白い線が大きく揺れる。 その風が吹き終わると同時に俺は立ち上がり、口を開いた。 「俺たち……結婚する」 香里は穏やかな表情のまま、墓を見ている。 その左手の薬指には、太陽の光を反射して綺麗に輝く銀の指輪。 俺にも同じ場所に指輪を嵌めている。この前香里に贈った品だ。 「お前の約束、守っているからな。その報告だ」 俺がそう言った後、香里は墓の前に座ったまま話し始める。 「私……幸せだから。これからも、ずっと幸せでいられるから」 香里はすくりと立ち上がり、墓をもう一度見渡す。 「だから、安心してね。北川君」 そう言って、俺と香里は再び手を合わせて目を瞑った。 一時の間そうした後、俺の呼び声と共に香里は墓に背を向ける。 墓を後にしていく二人。その時三度目の風がビョウ、という音と共に舞う。 その風に、俺は確かに聞いた。懐かしい親友の声を。 「最期まで……約束は続くからな」 風に乗って聞こえたその声に、俺は立ち止まり空を仰いだ。 「もちろんだ。親友」 その声に答えるように。澄んだ空が持ち運んでくれたかのように。 今度は優しい風が、ひょう、と吹いた。 Back to the top? or side story? |