ピピピピピピピピ……

 朝の日差しに彩りをはじめた部屋に、軽い電子音が響く。
 その電子音の発信元は、ベッドの近くにある出窓。

 モゾ

 ベッドから這い出て来た手が、ゆっくりと小五月蝿い時計へと伸びる。

 ピッ……

 目覚ましが止まり、その原因の主はゆっくりとベッドから上半身を起こす。
「ん……」
 気だるそうな声とともにベッドから出てきたのは、顔の整った茶髪の少年。
 寝起きのぼさぼさ頭を掻き毟りながら部屋を見渡す。
「……朝か」
 まだ寝ぼけた顔でベッドを出て、部屋を見渡す。
普通の机。普通のベッド。普通の本棚。
特に代わり所のない部屋だ。
「じゅーん、朝よー」
 ドアの方から女性の声が聞こえる。この声は彼の母のもの。
「あいよー」
 ドアに向かって近所迷惑にならない程度に大声を出す少年。
 この少年の名は北川潤。花も恥らう事のない高校2年生だ。


「さってと、がっこ、がっこ」
 そういいながら机の前へ歩いていく。
 今、彼の視界はこの部屋を2重にも3重にも移していた。
彼は中学の頃から重度の近眼で、眼鏡かコンタクトがないと日常生活さえままならない。
 机の脇にある眼鏡を取る。
 銀の縁の、ごくごく一般的な眼鏡。
 彼はその眼鏡を掛けようとして、ふと止まった。
 目の前にある眼鏡は、中学の頃に使っていた眼鏡だ。
 それなりに愛着もあるし、今でも大切に使っている。
「でも……愛用とは言えないな……これ」
 そう言うと眼鏡を掛け、机の引き出しを引っ張った。
 引き出しの中に、傷だらけの青い眼鏡ケースがある。
「…………」
 おもむろにそのケースを開けた。
 中には茶色い縁の眼鏡。
 普通の眼鏡のように見えて、どことなく違うその眼鏡。
「何やってんだろ……変な夢でも見たかな」
 そう言いつつも、眼鏡をケースに戻さず持ったままで止まっている。
「もう……掛けれるか……な」
 一人しかいない部屋でそう呟くと、その眼鏡をゆっくりと掛けた。


 シャッ
「うおっ」
 朝の光を受けて少し透けていたカーテンを開けると、視界に飛び込む色は白銀。
「寒そ」
 この町にに来た事のない人間ならば、一瞬目を奪われるような美しさなのだろう。
 しかし、数年前に引っ越してきた彼にとっては、すでに通常の景色に過ぎない。
「とっとと降りよ」
 そう言って彼はすばやく制服に着替え、薄めのカバンを引ったくり1階に下りていった。
「おはよ」
「おはよう、じゅ……」
 朝の支度をしながら、返事をしようとして固まる母親。
 彼女の目は、北川の眼鏡に視線を向けたまま止まっている。
「どうしたんだ……きさ……」
 そう言いながら隣の和室から出てきた青年――北川の父親である――も固まった。
 それを見ながらふぅ、と息を漏らす北川。
「どしたんだ、親父、お袋」
 その声を皮切りに、北川の両親は動き始めた。
「大丈夫なの……潤」
「もう、いいのか……?」
 二人から同時に心配の声が北川に掛けられる。
 その声を聞いて、北川は頭に手を乗せながら、
「だいじょぶだって。それよりもメシー。腹へって」
 と、明るい笑顔で腹を押さえた。
 その時、二人の親は心底安心した表情をしていた。



「んじゃ、行ってきまーす」
「行ってくるな。姫里」
 北川とその親父は、家の玄関でそれぞれ出発の挨拶をする。
「行ってらっしゃい、潤。あ・な・た」
 と親父にキスをするお袋さん。
「これが無いと、一日始まらないな」
「なに惚気てんだ、親父。バスの時間」
 と北川はあきれ顔で言う。腕時計を指しながら。
「おぉ! それでは行ってくる」
 と、慌てながら玄関を出て行くが、その際に愛する妻へのお返しのキスは忘れない。
「もう、あなたったら」
「……行ってきます」
 玄関で体をくねらせながら自分自身を抱く母親を残し、北川は学校へと歩いていった。
 近所でも有名な、万年新婚生活北川家のいつも通りの朝だった。


「おっ、あれは……」
 北川は自分の先に、見慣れたソバージュの髪型をした少女を見つけた。
「おぉーい、美坂ぁー」
 手を振り走りながら声を掛ける北川。
 その声に反応し、ゆっくりと振り返る少女、美坂香里。
 と、振り返り北川を視界に収めた。
「おお、美坂おはよう」
 いつも通りの朝の挨拶を交わす北川。
 その一方、朝の挨拶もせず訝しげな視線を投げる香里。
「……誰?」
 その質問に思わず前につんのめる北川。
「俺だよ、北川」
「よねぇ……」
 どうやら、彼女は北川本人かどうか怪しんでるらしい。
「まぁ、眼鏡掛けてるから多少は違うかもしれんが……」
「そうよね。そんな髪型北川君しかいないもの」
 と、北川のトレードでもある触覚めいた髪を指す香里。
「……まぁそうだが」
 複雑な心情で頷く北川。
 正直この髪は意識しているものでない。
 ここの寝癖だけはどうやっても直らないだけである。
「それにしても……目悪かったのね」
 登校を再開して、二人は話しながら歩いた。
「ああ、いつもはコンタクトだから」
「どういう心境の変化なのよ?」
「……なんとなくな」
(痛いところ突いてくるな……美坂)
 心中は苦い思いをしながらも、表面だけは気軽に対応する北川。
「似合ってないか? まさか」
 少し心配そうな声を出す北川。横目で美坂を見る。
 その視界に入ってきた美坂は、いつものそっけない表情で、
「そんな事ないわよ。似合ってるわ」
 と、言った。
「そっか。ありがと」

 ちなみに、その日も遅刻ギリギリで登校してきた二人の感想は、
「似合っててかっこいいよ、北川君」
「北川が頭よさそうに見えるのがむかつく」
 ということである。
 また、HR少し前に罵り合う二人のクラスメイト(♂)がいたらい事を追記しておく。


 その日の3時間目の授業が始まった。国語の授業である。
「それでは、今日は突然だが小テストを行う」
 教壇に上がると同時にそう言い放った教師に対して、大きくブーイングを垂れるクラス。
 祐一もその一人であり、名雪は寝ているために気づいていない。
 香里は悠然とした態度を崩さない。
 一方の北川は……
「そうか、北川はもう開き直ってるか……」
「……オイ」
 後ろを振り返り、北川の方に手を乗せて優しく声をかける祐一。
 一方、祐一のその態度に猛烈に嫌な顔をする北川。
「ならなぜブーイングを放ち、教師の突然かつ理不尽な行為を否定しない!?」
「……演説者になれるぞ。相沢」
「おら、そこ喋るな! プリント配るから、始めといったら始めるように」
 教師に注意され、体を前に戻す祐一。名雪は香里に起こされ、プリントを受け取っている。
 最後の一枚を受け取った北川は、早速プリントに取り掛かった。


(……やばいな)
 北川は、目の前のプリントをこなしながら、自分の変化を感じ始めていた。
(この調子だと、昔の俺が……)
 自分が昔必死に勉強をしていた時期に、気持ちが戻っていく。
 気持ちが戻るのは良いのだが、嫌なのはそれと共に蘇って来る記憶。
 必死に止めていた気持ちの螺子が、緩んでくるのを感じる。
(だめだ……耐えるんだ……テストに集中しろ)
 そう自分に言い聞かせながら、ただひたすらに問題を解いていった。


 キーンコーンカーンコーン
「はい、前からプリント集めて」
 書き終わったプリントを教師が集めていく。
「次の時間は自習だから、終わりに結果を発表する」
 そこで、ブーイングを垂れるも、自習を喜ぶ生徒たち。
「それじゃあ、授業を終わる」
「起立」
 香里の掛け声と共に立ち上がる生徒たち。
「礼」
 全員で礼をした後、教師が抜けた教室はすぐにざわつき始める。
 その内容は、大体さっきのテストについてである。
 教室の後ろにいる通称美坂チームも、最初にその話題が立ち上がった。
「どうだった、香里」
「私に聞くまでないでしょ。相沢君。君は?」
「……聞くな……名雪はどうだ?」
「うに……眠たかった」
「聞くまでもなかったな」
「聞くまでもないわね」
「……もしかして酷いこと言ってる?」
「んで、北川はどうだった?」
「……んあ?」
 祐一に話を振られ、間抜けな声を出す北川。
「んあ、じゃねぇよ。さっきのテストだよ」
「あぁ……わかんね。適当にやったし」
「じゃあ、いっしょに泣こうな。次」
 がっと北川の肩に手を回す祐一。
「……それは嫌だな」
 そう言って北川は立ち上がった。
「ん? どこに行くんだ?」
「トイレ」
 そう言うと、北川はさっさと教室を出て行った。
「……なぁ、香里」
「なに?」
 祐一は北川が出て行った後を見ながら、不思議そうに話した。
「あいつ、なんかあったのか?」
「北川君? さぁ、分からないわ」
「……冷めてんなぁ」
 祐一にそう言われ、香里は
「違うわよ。分からないものは分からないだけ」
 そう、手に顎を乗せながら、そっけなく答えた。


 バシャ
 人気の無い廊下で、北川は水のみ場の水で顔を洗っている。
「ふぅ……」
 濡れた顔を拭わずに、水のみ場の縁に手を乗せたまま動かない。
「……やばいな……今日、持つか……な」
 そう言いながらハンカチで顔を拭くと、傍に置いてあった眼鏡を手に取る。
「まだ……弱いままなのかね。俺は」
 誰に言うでもなく眼鏡に語りかける北川は、普段には無い寂しげな雰囲気を出していた。


 ガラッ
「おぉ、北川」
「おっす」
 4時間目が始まってから半分程が経過した後、北川は教室のドアを開けて戻ってきた。
「長いトイレだったな」
 祐一は軽い口調で笑いながら話す。席には横向きに座ったままだ。
 4時間目は自習のため、教室は休み時間ほどではないがざわついている。
「気にするなって。ちょっとうろついてただけだよ」
 北川も肩を竦ませながら、笑って答えた。
「先生に見つかったら面倒でしょう」
 香里が呆れた顔をする。その前で名雪はすやすやと寝息を立てていた。
「すー……」
「……呑気だな、名雪は」
 祐一は従兄弟の寝姿を眺めながら、ため息を漏らすように声を出した。
「しょうがないでしょ、名雪なんだし」
 達観したように返す香里。
「それは言えてるな」
 二人のやりとりに思わず笑いを零す北川。
 このようなやり取りで、4時間目の自習時間はゆっくりと過ぎていった。

「あー、それではさっきの小テストを返す」
 その声と共に、教室にちょっとした緊張が走った。
 受験を目の前に控えたこの2年の終わり。
 学力を気にしている生徒が増えている証拠である。
「今回のテストには満点が1人いる」
 その一言に、教室はさほど同様はしない。
 なぜならこの教室には常に学年トップの地位を持つ女生徒、美坂香里がいるからだ。
「それでは成績下のやつから返していくからなー」
 その一言に一気にブーイングを放つ生徒達。
「静かにしろ。もうすぐ受験生なんだし、自分の場所を知るのも必要だろ」
 そう言うと、、国語教師はさっさと名前を呼び始める
 最初に呼ばれている者たちは、がっくりするか開き直っているかの二択である。
「水瀬」
「うにゅ?」
 名前を呼ばれ、机に屈していた顔を上げる。
「ほれ、プリント取りに来い」
「はーい……ぅにゅ」
 ふらふらと小テストを取りに行く名雪。
「寝てるな」
「寝てるわね」
「間違いないな」
 周りの3人は揺らめきながら前へ進む名雪を見て、そうつぶやいた。
「相沢」
「……ハイ」
 祐一は多少不機嫌そうな声を出しながらも、席を立ちプリントを取りに行った。
「どした、不機嫌そうだな。大体真ん中位じゃないか」
 祐一がどかっ、と腰を下ろすと共に北川は声を掛けた。
「お前より下なのがムカつく」
「さいですか……」
 そうしている間に国語教師のもつプリントもかなり少なくなってきた。
 まだ北川も、香里も呼ばれていない。
「北川君も結構いい点のようね」
 ちょっと驚いた顔をしながらも、余裕を持った態度は変わっていない。
「斉藤」
「はい」
 そうして、とうとう最後の2人に絞られた。
 候補は、北川と香里。
「なに……まさか北川が……」
「ここまでやるとわね……」
「くー」
 三者三様の驚きとちょっとしたざわめきの中、教師はひとつ咳をする。
 静まる教室。
「次は……」
 ゴクッ
 誰もが声を呑む瞬間、教師は口を開いた

「美坂、惜しかったな」

 静かになる教室。国語教師はプリントを掴むと前に差し出してきた。
「は……はい」
 まだ信じられないという声を出す香里。
 席を立ち、教師からプリントを渡される。そのプリントに書いてある点数は98点。
「それで、最後は北川だ。がんばったな」
「……ハイ」
 いつもとは様子を変え、北川へとプリントを取りに行った。
 そのプリントに書いてある点数は、間違いなく100点。
「それじゃあ私は戻る。あまり騒がんようにな」
 ガラララ……ピシャン
 教師がドアを閉め、廊下に響く足音が聞こえなくなった頃、教室が沸いた。
「すげー、あの美坂がやられるなんて!」
「すごい、北川君。見直しちゃった!」
 まるで英雄の如く祭り上げられる北川。
 本人はいつも通りにプリントを机に入れながら、周りの人たちからの質問をこなして言った。
「どうしたの!? 一体!」
「いや、まぐれまぐれ」
「まぐれにしちゃ出来過ぎだろ!」
「ヤマ勘が当たっただけさ」
「それにしても凄いよねー。美坂さんを超えるなんて」
 北川は次々と浴びせられる質問に対し、ちょっと引きながらもそっけなく答えていった。
「眼鏡のおかげでより勉強できそうに見えるよねー」
「……っ!! そうだよな」
 一瞬顔が歪むが、沸き立った周りの生徒達は気づかない。
 一方、その輪の中に入っていない3人がいた。
「単なる小テストだろうが……」
 前の席で呆れた顔をするのは祐一。
「くー」
 周りの喧騒など関係なく寝ているのは名雪。
「やるわね……北川君」
 一人ライバル出現の如く対抗の火を燃やしているのは香里であった。

 キーンコーンカーンコーン

 そうやって教室が沸き立っている時、4時間目のチャイムが鳴った。
「あ、メシメシ」
「お弁当たべよーっと」
 その途端に、みんな蜘蛛の子を散らすように北川の席から離れていった。
「…………」
「…………」
 そのあっけなさに、あっけを取られ言葉が出ない二人。
「……それじゃあ学食行くか、北川」
 しばらく呆然としていたが、祐一は学食へと北川を誘った。
「……いいや、今日は昼抜くよ。金無いし」
 そう言うと、北川はさっさと教室を出て行った
「あ、そ」
 残された祐一は、一人詰まらなさそうに呟いた。



 ガチャ

 屋上のドアを開けると、冷たくて強い風が外から中へと吹き込んできた。
 そのドアを閉め、外に出る北川。
 屋上の雪は用務員の雪掻きでほとんど無くなっており、誰もいない。
 この寒い時期に、これほど強い風が吹く屋上に誰も来ないのは当然である。
「…………」
 北川は無言で屋上のフェンスに寄りかかると、空を仰ぎ眼鏡を取った。
「くっ……うっ……」
 眼鏡を取ると同時に、先程から我慢していたものが一気に噴き出してきた。
 それは、過去の記憶に対する悲しみ、苦しみ、絶望感など負の感情。
 その記憶が楽しいものでも在るが故に、悲しみや苦しみをさらに強調させてしまう。
 さっきの質問中に、眼鏡のことを言われたのが引き金だった。
 嫌でも思い出す中学時代、嫌でも思い浮かんでくるあの少女。
 明るくて、活発で、それでいて繊細で真面目だった、自分を好きで、自分も好きだった少女。
「く……ぁ……」
 北川は上を向いたまま、ずるずると下がり屋上の床に尻を突いた。
「う……ぁ……っ……ま……りぃ……」
 いまだに鮮明に思い浮かぶ。彼女、下塚麻里の笑顔が。

 ガチャ

「……北川」
「ぁ……あい……ざわ……」
 いきなり屋上のドアを開けて入ってきたのは、相沢祐一であった。
 北川は流れた涙を拭い、座っていた腰を上げ眼鏡を掛ける。
「寒いな、ここは。これじゃあ誰もいないのも当たり前か」
「なん、だよ」
 北川はさっきまで泣いていたために、うまく声が出せない。
「それはこっちの台詞だろ? 一体どうしたんだ」
「う、るさい」
 視線をはずし斜め下を向く北川を見て、祐一は溜息を漏らすとつかつかと北川に近づいていった。
 そして胸倉を掴むと、背をそらし思いっきり息を吸い込む。
「うるさいだと!? 勝手な事言うな! お前が思いつめた顔で教室出たら普通気になるだろうが!」
「いいだろうが、構うなよ」
「構うなだと!? そんなこと出来るわけ無いだろうが!」
「……なんでだよ」
「親友だろうが! 違うか!?」
 その一言に、北川ははっと祐一の目を見る。
 真正面で間近から見た祐一の目は、何よりも真っ直ぐな輝きを宿している。
「……そっか、親友か」
「あぁ、だろう。違ったか?」
 祐一はそう言いながら北川から手を離す。
「……ありがとう。相沢」
「馬鹿、照れるだろうが」
 祐一は顔をちょっと赤くして頬を掻く。
(さっきの台詞の方が何倍も恥ずかしいのにな)
 北川はそう口に出さず、ふっと笑みを漏らした。
「んで、一体何なんだ。屋上に行ってみたら北川泣いてるし」
 顔の赤みが引き、北川もある程度落ち着いたのを見計らって祐一は北川に質問を投げかける。
「……そうだな。それじゃあちょっとした話を聞いてくれ」
「大事な話か?」
 真面目な顔で聞いてくる。そんな祐一の気持ちを北川は嬉しく感じた。
「あぁ、大事な話だ」

 二人は屋上の床に向かい合って座り、北川が深呼吸をしてから話は始まった。

「俺が中学の頃に、下塚麻里って女の子がいた。
 その時の俺って、眼鏡掛けてて真面目でガリが付くぐらいの勉強野郎でさ。
 自分ながら近づきにくい奴だったと思う。
 ある日突然その麻里が話しかけてきたんだ。
 『私の造った眼鏡、掛けてくれない?』てね。
 最初はびっくりした。何言ってるんだこいつ、と思った。
 一回は断ったんだが、何回もしつこく言ってくるんで、話を聞くことにしたんだ。
 どうやら麻里は自分の家業が眼鏡屋で、将来眼鏡専用のデザイナーになりたかったらしい。
 その実験台に俺が選ばれたってわけだ。
 そんで、放課後とかにデッサンに付き合ったりとかいろいろやった。
 あの時の俺はすぐに終わってくれればいい、と思ってたな。
 それで、少しずつお互いの意識が変わってきて……
 気付いたら好きになってた。ドラマチックでもなんでもなく。
 ある日、ふと気付いたんだ。俺は麻里が好きなんだ、って。
 それでそれからしばらくして、俺は告白の決意を固めた。
 ちょうど眼鏡が出来たから、それを貰ったのと同時に告白しようと決めた。
 ……でも……無理だった。
 麻里が、俺に眼鏡を渡しに来る途中で事故にあって……
 それで俺が病院に着いた時にはもう手遅れだった。
 その時に、麻里の両親が俺にこの眼鏡をくれたんだ。
 麻里の形見だけど、俺に渡すべき物だからって。
 その眼鏡ケースの中に、手紙が入ってた。
 『ずっと好きでした。付き合ってください』って。
 俺は、泣いた。泣けなくなるかと思うくらい泣いた。
 そして、弱かった俺はその街からこっちに逃げてきた……」

 そう言い切って、北川は自分の目から流れる涙を拭った。
「ま、そういうお話だ」
「……北川……」
「あんまり悲しい顔をするなって」
 なんとか作った笑顔を向けられた祐一は、無言で立ち上がった。
「なぁ、お前ってまだその麻里って娘、好きなのか?」
「……どういう事だ?」
 北川は同じく立ちながら質問を返す。
「いや、お前てっきり香里が……な」
 そう言いながら祐一はばつが悪そうに頭を掻く。
「……まだ、好きだ。麻里が」
 俯きながら、搾り出すように北川は声を出す。
「俺って、やっぱまだ弱いな」
「そうなのかな」
「まだ吹っ切れてないからな」
 屋上に強い風が吹いた。北川と祐一は思わず体を震わす。
「それって、香里が好きなことは否定してないな」
「かもな」
「んじゃ飯食うか。ほれ」
 祐一は制服のポケットからパンとジュースを出すと、北川に放り投げる。
 北川はそれを受け取ると頭を下げた。
「ありがと」
「金は払えよ」
 そっけなく言った祐一の仕草に、北川は思わず噴き出すと
「了解」
 と笑顔で答えた。


 北川と祐一の声は、暗い踊り場に聞き取れる程に漏れていた。
 その屋上に続く踊り場にあるドアには、香里がもたれかかっている。
「ばか……」
 香里は腕を組みながら、ぽつ、と寂しそうに呟いた。


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