「雪が振りそうだな……」
 大学から帰りながら、空を見上げてふと呟いた。
 空は灰色の雲に覆われている。
 白い雲が懐かしいかの様に、吐いた息は白かった。

「寒ぅ」
 ひょう、と吹いた風に服の間を通り抜けられ、思わず体を小さくした。
 秋が過ぎたと思ったとたんに寒さが押し寄せてきて、すぐに炬燵を出した。
 服も冬服になって、コートも引っ張り出してきた。
 俺はコートの襟を立て、足早にみどり荘へと向かって行った。


 カンカンカン、と小気味いい音を立てながら階段を上っていった。
「「あ」」
 二階に上がったところで、ばったりと栞ちゃんと鉢合わせてしまった。


 あれから、あの事件から二ヶ月も過ぎていた。












君と一緒に……

Vol.4〜winter〜














「こんばんわ。今日も寒いね」
 出来るだけ気さくに声を掛ける。が、
「あ……」
 と返事もしないまま、栞ちゃんは横を通り過ぎていってしまった。
 その前にぺこり、とお辞儀をしてくれるのがここ一ヶ月間の進歩であった。
 その前は全くと言っていいほど顔を会わしてくれなかった。
「どう考えてもあれのせいだよなぁ……」
 栞ちゃんが走り去っていった後を見ながら、一人肩を落としてしまう。
 状況は、二ヶ月前よりも明らかに悪化していた。

 栞ちゃんに告白した後、栞ちゃんと俺は見事に風邪を引いてしまった。
 相沢と水瀬はあの後すぐに風呂に入ったらしく、風邪は引かなかったようだ。
 それで俺は主に久瀬に、栞ちゃんは相沢と水瀬に看病をされていた。
 相沢のお粥が上手かった事をここに記しておく。

 で、風邪が治ったのは良いが、それ以来栞ちゃんは俺と会おうともしないし、話そうともしなくなった。
 なので、ここ2ヶ月全くと言っていいほど栞ちゃんと会話らしき会話はしていない。
 ……嫌われてしまったのだろうか……
 ふと、そんな事を思うと芋づる式に嫌な考えが浮かんでくるので、頭を振ってはそれをかき消す。
 という行動を幾度となく行い、相沢に変に思われていた。


「どうなんだろう……」
 全く話せないので、栞ちゃんの気持ちも全く分かっていない。
 あの態度からして、やっぱり嫌われて……
 と、またネガティブな思考になりそうなのを止め、204号室のドアを開けた。
「ただい……」

 ――相沢と水瀬のキスシーンが視界に入る――

 俺は玄関で立ち止まる。
 二人は入ってきた俺に気付いたのか、キスしたままこっちに目を向け、手を上げた。
 ……馴れた。
 俺はその出迎えに手を上げて対応をすると、部屋に入り腰を下ろした。
 そのまま炬燵に足を入れる。
 部屋のど真ん中にある炬燵に、男二人、女一人の計三人の人間が入っている。
 内二人はキスをしており、残り一人はそれを皮肉を込めた視線で見る。
 異常な光景だ。しかし人間とは恐ろしいもので、これを一週間も見せられたら何にも感じなくなってしまった。
 あの秋の事件のあと、相沢と水瀬はむちゃくちゃにいちゃつき始めた。
 場所など関係ない。一度講義内でもキスしたのを目撃した。
 今までとは違う、結局効果は同じなのだが……ストレスが溜まっていた。
 
「おう、おかえり」
「おかえりなさい、北川君」
 ゆうに五分はキスした後、俺の方を向いて遅い挨拶を交す。
「てめぇらいいかげんにしろ」
 俺はそれに返事を返さず、すかさず突っ込みを入れる。
「「えー、いいじゃん」」
 と、二人とも口を膨らます。
 ……どうやら行動パターンも似てきたようだ。
「はぁ」
 俺は背中をじゅうたんに預けると、ほう、と天井を見上げた。
 足に炬燵の熱が感じられる。ちょっと熱い。
 俺は栞ちゃんの事で色々悩んでるってのに……いい気なもんだ。
「祐一」
 と水瀬が相沢に何かを促す。
「ん……」
 カチ、とライターの火を付ける音がした。部屋にに煙と煙草の臭いが広がる。
「なあ、北川」
「ん、なんだ? 相沢」
 俺は背を起こし、炬燵に顎を乗せて相沢を見る。
 ふう、と煙を吐いて、
「栞とはどうよ?」
「それを聞くなよ……」
 俺は額をごん、と炬燵に当てた。
「栞ちゃんもアレだね。祐一に似てるかな」
「そうか?」
「何の事だよ。一体」
 俺は顔を上げて相沢アンド水瀬のカップルを見た。
 水瀬は悪戯っ子のようなにやけてるし、相沢はバツが悪そうな顔をしてる。
「ああ、結局だ」
「ん?」
「本当の鈍感ってのは、自分に対してもそうだってことだ」
「は?」
 相沢も、水瀬と同じ顔をした。あいつがすると非常にむかつく。
「頑張ってね。北川君」
 水瀬はそう言うと、相沢とたわいもない話をし始めた。
 ……自分の気持ちに鈍感、か……やっぱりそれって……

 カラン

「はぁ……」
 ここはとある図書室。カラン、とは栞がシャーペンを放った音だ。
「全然集中できない……」
 家で勉強をしても全く集中できない為、気分転換にと図書室で勉強を始めた。
 この時期になると受験生は皆追い込みの為にと、図書室で勉強している人も少なくない。
 栞は、自分がここにいるのが場違いだと感じて仕方が無かった。
「北川さんかぁ」
 二ヶ月前の、雨が降る夜での告白。あの日から、北川さんを避け続けてる。
 彼の前に立ち、彼の目を見ると、思考が真っ白になってしまい、避けてしまう。
「これってやっぱり……」
 と思って、頭を上げて振る。周りが少し奇怪な目を向けた。
「あ、すいません」
 周りの視線に、申し訳なさそうに上げた頭を下げる。
 これ以上ここにいても駄目だな。
 そう判断すると、机の上の勉強道具をさっさと片付け、図書館を出て行った。

 ふと空を見上げる。空の曇りが、そのまま自分を投影しているようで気分が滅入る。
「はぁ……」
 やっぱり、彼の事が頭に残る。
 斎藤。
 昔の彼。
 自分の身勝手のせいで分かれてしまった、彼。
 今でも好きなはずなのに。
「なんで……」
 何で、顔が上手く思い出せないんだろう。
 そのぼやけた顔は、北川さんに取って代わる。
 もう、彼のことを忘れてしまったのだろうか。
「北川さん……」
 その口から無意識に漏れたのは、分かれた彼の名ではなく、
 二ヶ月前に告白された人の名であったのに、彼女は気付いているのだろうか。

 空には、ひたすら灰色の雲が広がっていた。


 次の日


「――、はい。これでいいですね。ありがとうございました」
 と深々と例をすると、緑の帽子をかぶった青年は階段を下りていった。
「北川、なんだそれ?」
 と相沢は俺の足元にある小包を指差した。
 さっき郵便配達の人が届けてきた小包だ。
「さぁ、実家から。多分食料だと思う」
「じゃあ私が料理するね」
 と水瀬が炬燵を出ると、俺の足元にある小包を開いた。
「えっと……これは野菜が色々あるね」
 そう言って開いた箱から出てきたのは、人参やら胡瓜だった。
 他にも色々入ってるらしい。
「そういやこの前家庭菜園にはまってるって言ってたな。お袋」
「じゃあ手軽に野菜炒めにするねー。台所借りるよ」
「おう」
 と相沢が返事をする。俺の部屋なのだが。
「じゃあちょっと待っててね」
 と前に持ってきたエプロンを着て、料理を始める。
 軽快な曲調の鼻歌も聞こえてきた。最近流行っている曲だろう。
「いいねぇ」
 と、相沢がポツリとこぼす。
「何が」
「名雪のエプロン姿」
「やってろ」
「そういや……」
 相沢は吸っていた煙草を、灰皿入れにねじ込む。
「栞も料理好きだったっけ」
「そうなんだ」
 と、ジーっと相沢は俺を見る。
 俺はその視線から逃れようと顔を逸らした。
「……食いたくなったか? 栞の手料理」
「正直……そうです」
 どうにも栞ちゃんにまいっている俺は、頬を掻く。
「ふむ。そろそろ頃合か」
「は?」
 と、意味深に呟いた相沢を問い詰めようとした時、
「はーい、できたよ。野菜炒めとご飯」
 炬燵の上に出された野菜炒めは、上手そうに湯気を立てている。
 ご飯もいい感じに炊けてて、食欲を誘われる。
「でわ」
 相沢が手を合わすのに習って、俺と水瀬も手を合わせた。
「「「いただきます」」」
 ちょっと子供っぽいな、と思った。


 ジャーッ
 ガチャ

 俺はトイレから出ると、外に出かける用意をしていた相沢を目にした。
「相沢? 出るのか?」
「ああ、お前も用意しろ」
 と、服をばっと投げてきた。俺はそれを受け取る。
 どうやら外行きの服を用意してたらしい。
「こんな寒いのにお前と出てられるか……水瀬は?」
「ああ、用事があるとかで出てった」
 と言っている間に相沢はコートを羽織った。
「そっか。じゃあいってらっしゃい」
 と俺は受け止めた服を畳みながら、そっけない態度を取る。
「何言ってる。行くぞ」
「何所に」
「秘密だ」
「はぁ?」
 何か嫌な予感がする俺は、
「嫌だ、絶対」
 と拒否した。
「面倒な奴だなぁ……」
 相沢は煙草の煙を吐きながら、しぶしぶといった表情で言葉を吐いた。
「栞が来る。出るか?」
「…………」
 俺は無言のまま畳んだ服を着始めた。
「分っかり易い奴……」
 栞ちゃんが来るのなら何か話せるのかもしれない、と淡い期待に胸を寄せて、俺はコートを羽織った。
「出るぞ、相沢」
「ああ」

 ガチャ

外はまだ灰色に曇っていた。

「おい、何所に行くんだよ」
 俺は大学の近くまで来ていた。相沢は俺の前をどんどん進んでいく。
「ったく、黙ったまんま何所に行こうってんだ」
 俺はブツブツ文句を言いながら相沢の後をついていった。
 この時期俺達の様に寒空の下、表に出る奴は少なく、人通りもまばらだ。
 
 はた、と相沢が立ち止まった。
 俺は思わず彼の背中にぶつかりそうになる。

「おい、いきなり止まるなよ。ビックリするだろ」
 などと文句を言っていたら、いきなり真面目な顔で振り返ってきた。
 俺はいきなりの行動に一歩後退った。
「ここ、お前なら憶えてるだろ」
 と、横の方を指差した。
 その方向には冬の為に葉を落とした、裸の木があった。
「ここは……」
 思い出した。ここは、
「お前が名雪に告白した場所だ」
 憶えてる。あの新緑に彩られた木はもう無いけど、確かにあの場所だ。
「ああ。そうだが、なんでこんなところに来たんだ?」
 相沢は無言で後ろを指差した。
 俺が振り向くと、そこには
「栞ちゃん!」
 名雪と一緒に歩いてきた栞ちゃんがいた。

「栞ちゃん!」
 俺が相沢の指差した方向を向くと、そこには、
 名雪と一緒に歩いてきた栞ちゃんがいた。
「あ……」
 栞ちゃんは俺を見かけるとすぐに、走り去ろうと踵を返した。
 と、その前に水瀬が立ちはだかった。
「だめだよ、栞ちゃん。一回北川君と話してみて」
 そう言って肩に手をおくと、むりやり振り返らせ、俺の方へと押してきた。
 栞ちゃんは顔を俯かせたまま、立ち尽くしている。
「んじゃ、がんばれよ」
 と相沢は俺の肩を叩くと、水瀬とどこかへ行ってしまった。

「…………」
「…………」
 沈黙が周りを支配する。逃げ出そうとしないということは、俺と話すつもりらしい。
「……あのさ」
 声を掛けると、栞ちゃんはびくっと反応する。
 顔は伏せたままなので、表情は見て取れない。
「そろそろ答えを聞かせてもらってもいいかな?」
 俺が聞きたいことはそれだけ。その事でここ二ヶ月ずっと悩んでた。
「……言わなきゃ」
「ん?」
「いけない……ですか?」
 何かを押し殺したような声がする。その声と共に白い息も吐き出されてる。
「出来れば知りたい。もう、我慢できそうに無いよ、俺」
「…………」
 また沈黙が俺達の間にはびこる。
 喋らずに何時間ともとれない数分が経った。
「私は……」
 栞ちゃんは一呼吸入れると、もう一度口を開いた。
「私は、よく分からないんです」
「前の彼のことを思い出すんですけど、上手く思い出せないし……」
「なのに、北川さんの顔が出てきて……」
「まるで、あの人と入れ替わってくみたいで……」
「不安なんです!どうしようもなく」

 そう、告白しながら見上げたその顔は。
 泣いていた。
 目から流した涙は、頬を伝って白い軌跡を残す。
「栞ちゃんさ、」
 俺は、こんな自分勝手なことを思ってしまった。
 しかもそれを言おうとしてるなんて……最悪だな。
「もしかして、前の彼氏に申し訳ないと思ってるんじゃないのかな」
「申し訳ない……?」
「俺のこと好きなんだと思う。自分勝手な意見だけどね」
「で、前の彼も好きだったから、だから申し訳ない、って思ってない?」
 この言葉に、彼女は顔を伏せた。
「でも、それじゃあ……」
「少なくとも」
「え?」
 と、まだ涙で濡れてる顔を上げる。
「俺はもう、栞ちゃんに惚れてる。どうしようもないくらい」
 と、栞ちゃんを抱きしめた。
 彼女の香りがする。甘い、それでいて健やかな香り。
「あ……」
 栞ちゃんは驚いた声を漏らすと、いきなり額を俺の肩に乗せてきた。
「栞ちゃん?」
「北川さん」
「なに?」
 彼女の顔を見ようと体を離そうとするが、栞ちゃんの手がそれを拒むかの様にしがみ付く。
「私のこと、軽蔑しないで下さいね」
「なんで?」
「私、気付いちゃいました。ようやく」
「何に?」
 肩に額を乗せたまま会話を続ける。肩にかかる息が少しくすぐったい。


「北川さんのこと、好きです。どうしようもなく」

その言葉が、嬉しかった。
「そっか。で、なんで軽蔑するな、なんて?」
「だって、あの人の事。もう忘れかけてたんです。新しい恋の為に」
 そう言うと顔を上げ、俺の目を見てきた。
 その顔は涙の跡が残ってるけど、目はもう泣いてなかった。
「だから、軽い女なんて思わないで下さいね」
 可哀想に。でも、あっちから断ってきたんだ。それぐらい許容範囲だろうと思う。
 それに
「それなら俺もそうだ。多分一番最初に会った時から君に恋してた。水瀬との事があったすぐ後なのに」
 と、俺は彼女の顔についた涙の跡を指で拭った。
「だから軽い男なんて思わないでくれよ」
「お互い様ですね」
 と笑った。もう、何ヶ月ぶりかの最高の笑顔だった。
「お互い様だな」
 俺は彼女の頭を片手で抱えると、思いっきり抱きしめた。
 今まで離れていた分、離さないくらいに。
 そうして、彼女の暖かさと、匂いを感じた。

「はい、コーヒー」

 大学の近くの公園で、俺は買って来た缶コーヒーを栞ちゃんに渡した。
「ありがとうございます」
 両手で丁寧に缶コーヒーを受け取り、俺と栞ちゃんは並んでベンチに座った。
「……そうだ」
「ん?」
 コーヒーを飲みながら、はっとした表情で俺の方を向いてきた。
「私の勉強見てくれませんか?」
「は?」
 いきなりの事でよく分からない。
「私、ここ最近北川さんのことで頭一杯で……勉強が上手く出来なかったんです」
「はぁ」
 俺は気の抜けた返事をする。
「だから、受験ももうすぐですし、北川さん大学生じゃないですか」
「まぁ、そうだけど」
 なーんか読めてきた。
「俺に家庭教師をしろ、と」
「はい、泊り込みで」
 
 ブー

 思いっきりコーヒーを吐いてしまった。
「と、とま、り、こみ?」
 ごほごほと咳き込みながらも、質問を口にした。
「はい、泊り込みです。これから受験まで私の部屋で」
 ……えらいことを言ってる。
「本気? それは」
「はい。『ほんき』と書いて『マジ』です」
 その目はまさに『ほんき』と書いて『マジ』である。
「はぁ、でまたなんで」
「それは……北川さんと一緒にいたいですから」
「はぁ」
 本気でそんな事を言われると、恥ずかしいのを通り越して感心してしまう
「あと、北川さんのせいで、最近勉強に身が入りませんでしたから」
「う」
 それを言われると、痛い。
 別に俺が悪い訳でもないような気がするけど。
 どうも栞ちゃんは人が変わったように積極的になっている。
「ねぇ、前の彼氏にもそうだったの?」
「はい?」
「積極的だったっかって事」
「ええ。こんな感じだと思いますが」
 さすが兄弟。そう思わずにはいられなかった。
「で、いいですか?」
 そうやって心配そうに俺を見上げる。
 俺は残り少ないコーヒーをすすった後、
「いいよ」
 と、彼女の頭を撫でた。
「はい! お兄ちゃんもこれで喜びますね」
 なるほど。そういう意図もあったのね。
 ふと手に冷たい感触が伝わる。
 二人で視線を空に向ける。
 空からは、白い結晶が降ってきた。
「あ……雪」
「新雪だな」
「綺麗ですね」
 栞ちゃんが手を差し伸べながら目を細める。
 その仕草に、見入ってしまった。
「栞ちゃん」
 俺は彼女の頭に乗せていた手を肩に落とす。
「北川さん」

 新雪の振る幻想的な公園で
 自分の気持ちを確かめ合った二人は
 そっと、唇を寄せた
 まるでその行為自体も幻想的で
 周りの景色に、雪に溶けていきそうな錯覚さえ覚えたs
 寒い、暖かみを感じる冬だった

「それでは!」
「栞ちゃんの合格を祝って!」
 相沢と水瀬が音頭を取り、酒の入ったコップを大きく掲げる。
「「「「かんぱーい!」」」」
「……カンパーイ」
「おい、どうした、北川! 乗ってないぞ!」
 コップの中身を一瞬にして飲み干した相沢は、俺の肩に手を回す。
「……この場所でどうやって乗れと?」
 人差し指を下の方に差す。ここは久瀬がバイトしているラーメン屋だ。
 思いっきり乗るには、余りにも場違いな場所だ。
「ほぉ……そう言うかい、潤坊」
 目の前でおっちゃんが包丁をぎらつかせる。
 俺はおっちゃんには潤坊と呼ばれている。ガキみたいで嫌なのだが、どうにも言い変えてくれない。
 ちなみに持っている包丁は、とってもでかい中華包丁である。
「すいませんです。乗りますって」
 そう言ってぐっと酒を飲んだ。
 一気に飲んだので喉が熱い。
「くぅっ」
 ドン、とコップを机に叩くように置く。

「いい飲みっぷりだな」
 横で久瀬がちびちび飲んでいる。彼も栞の合格を祝ってくれている。
「てめぇがちびちび飲みすぎなんだよ、久瀬」
 すでに酔ってきたのか、相沢が絡んでいく。
「君はがばがば飲みすぎだ。相沢」
「んだとぉ! てめぇは前から気に入らないんだよ!」
「私もだ。君とは反りが合わないと思ってる」
「よっしゃぁ! よく言った!」
 そう言いながら、相沢が勢い良く腕を捲り席を立った。
「やる気かい?」
 久瀬も対抗するように席を立った。
「おい! 相沢、久瀬!」
 俺が席を立とうとした時、
「祐、久瀬、潤坊の事はどう思っとる?」
 いきなりおやっさんが口を挟んできた。
 と、二人とも間髪入れずに声を返してきた。
「バカ正直」
「子犬」
 相沢、久瀬の順番だった。
「気が合いそうだな、久瀬」
「その様だな、相沢」
 がしっと手を組む二人。
「……ってオイ」
 俺は二人に突っ込みをするしか出来なかった。

「あ、あの、潤さん……」
 横から申し訳なさそうな声がかかってきた。

「あ、栞」
 俺は横にいる恋人の方を向いた。
「私はどうなったんでしょうか……」
 酒のコップをもったまま、すまなそうに言ってくる。
 そのおどおどした栞もイイ!……じゃなくて。
「もぉ、祐一も久瀬君も、今日は栞ちゃんが主人公なんだから忘れないでよ!」
 俺の言いたい事を水瀬が代弁してくれたようだ。
「すんません」
「そうだったな、おめでとう。栞ちゃん」
「おめでとうだな、栞」
 相沢と久瀬が祝いの言葉を栞に贈る。
「ありがとうございます」
「これも北川君のおかげ、だね」
 水瀬が栞越しに顔を出してくる。
 とても嬉しそうな顔をしてる。
「そ、そんな……」
 顔を真っ赤にする栞。
「そんなの栞が頑張ったからだよ。俺はちょっと手を貸しただけ」
 そう言って席に座り、まだ暑いラーメンを啜る。
「そんなことありませんよ……本当に助かりましたし、何より優しく教えてくれて……」
 赤い顔のまま、俯いて早口に喋る。
「ごちそうさま、だね」
「だな」
「うむ」
「二人とも若いねぇ」
 そう言われ、俺と栞ちゃんは酒に酔ってるわけでもなく、顔を真っ赤にしてしまった。


 そして合格祝いの帰り
 周りはもう薄暗くなってきていた

「いやー、食った食った」
 腹をぽんぽん叩きながら、行儀悪く爪楊枝を咥えている。
「ほんと、おいしかったね。あのお店」
「そうですね。美味しいラーメン屋でした」
 満足そうに笑ってる栞と水瀬。
 冬の寒さも少し収まり始めた弥生の空の下、二組の男女が並んで歩いていた。
「ごめんね。合格祝いがラーメン屋なんて」
 この言葉を久瀬とおっちゃんが聞いたら、大目玉を喰らうだろうな。
「いいですよ。美味しかったですし」
 満足そうに微笑む栞。
 これならあのラーメン屋にも感謝すべきだな。
「にしても、栞」
「何? お兄ちゃん」
「お前こっちの大学が目標だったんだな」
 栞は、ここからそれほど遠くない大学に一発で合格した。
 元からその大学が第一志望だったらしい。
「そうですよ。言いませんでしたっけ?」
「聞いてねぇよ。あのまま住むつもりで来てたのか」
「そうですよ」
 さも当然のごとく肯定する栞。
 ……ちょっと背筋が寒くなった。
「…………」
 さすがにこの言葉に相沢も絶句で返すしかないようだ。
「でも変だよね」
「何が」
 早くも絶句状態から復活した相沢が、水瀬の言葉に相槌を打つ。
「この一年で、祐一と北川君の部屋がすっかり入れ替わっちゃったよね」
「なに! 北川、204にまだ居続けるつもりか!?」
 ビックリしたように俺に話を振る相沢。
「当然だ」
 それに当然の様に対応する俺。
「あたりまえです」
 それに援護射撃を行う栞。
「……もういい」
 そう言って相沢は四人の列から前へと走り出た。
 どうやら妹には弱い人間らしい。知ってるが。
「俺は先に帰って不貞寝する! やってらんねぇ!」
「まってよ〜、祐一ぃ〜」
 それを水瀬が追いかけて行った。

「……行っちゃったな」
「……行っちゃいましたね」
 二人で走っていく水瀬と相沢を見送った。
「潤さん、私たちはゆっくり帰りませんか?」
 体を前に曲げ、俺を見上げながら栞が提案をする。
「賛成」
 そう言って二人は歩くペースを落とした。




 ちょっと寒い風が頬を撫でる。
 俺と栞ちゃんの髪を風が梳いてくれる。

「――、………、……――」
「ん? 何か言った?」
 俺は栞の目を腰を曲げながら覗く。
 彼女の瞳に俺の顔が映ってるのが見えた。
「いえ、なんでもありません」
「……気になる。言って」
「だ・め、です。」
 目の前に人差し指を立てて、声と合わせて横に振る。
「余計気になった。意地でも吐いてもらおうかぁ」
 俺は手を顔の高さまで上げて、わきわきと動かした。
「う……」
「おりゃ!」
 俺が思いっきり栞を抱きしめようとするが、その腕は空を切った。
「今の潤さん、エッチな感じなんで逃げまーす」
 俺の腕をすり抜けた恋人は可愛い笑顔を振り撒きながら走って逃げていった。
「待ちやがれ、この、栞ぃ!」
 俺は手を思いっきり上げると、栞を追っかけて走り出した。
「きゃぁ!」
 栞は笑いながら走って逃げていった。



 本当は聞こえてた。

『この幸せが、逃げていって、無くならないといいな』

 そんな心配は要らない。

 この幸せがなくなるなんて不安は要らない。

 だって

 俺は

 栞の事が好きだから。

 どうしようもないくらい。

 この気持ちは

 変わらない。

 ずっと……

 相も変わらず陳腐だけど、この台詞は大事な時まで取っておこう。

『栞。俺は、君と一緒に歩いて行きたい。ずっと』


<These season continue ……>

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