「あーあ」
 ちょっとした買い物から帰ってきて、手紙が来たかどうか郵便受けを見ながら、だらけた声が出る。
「熱い……」
 今年の夏は例年より少し暑いらしい。これで少しなんてやってられねぇ。
 二階しかないアパートの階段を上がって、自分の部屋に入る。
「ただいまー……って」
 訂正。今は俺と相沢の部屋だった。
 相沢の部屋なら、アイツの彼女の水瀬も来るわけで……
 今は耳掻きをしていた。相沢がする方である。
 水瀬は相沢に膝枕をしてもらいながら、幸せそーにとろけてる。
「オカエリ」
 相沢が耳掻きの棒を持った手を上げて迎えてくれる。
「オジャマシマシタ……」
 もう、これじゃあ奴らカップルの愛の個室となんら変わりが無い。
「やってられねぇ」
 俺は後ろ手に玄関を閉めながら、一人愚痴を零した。
 空はむかつくほど明るく、透き通っていた。












君と一緒に……

Vol.2〜summer〜














「あーあ」
 まただらけた声が出る。今回は夏の暑さのせいだけではない。
 相沢との同居生活が始まって、三ヶ月の月日が経った。
 同居人の彼女、水瀬名雪が毎日のようにやってきては、
 俺のストレスを溜めて帰っていくのであった。
「北川さーん」
 その代わりと言ってはなんだが、いい事が一つあった。
「ん?」
 声のした方に振り返る。
「栞ちゃん」
「こんにちわー」
 ウチの隣りの部屋に住んでいる相沢の妹、相沢栞ちゃん。兄に似ずとってもいい娘だ。
 ……アイツが聞いたら、うっせぇ、とか言いそう。
「予備校のほうはどう?」
 栞ちゃんと、家の近くにある並木通りを歩きながら、いつもの様に話し始める。
「んー、まあまあ順調ですね」
 と、拳を握って顔の近くまで上げると、
「今年は絶対合格しますよ」
 と、気合が入ったところを見せてくれる。
 ……あと、なによりかわいいしな。
 正直に言うと、最近気になっている娘だ。
 ……俺って気が多いのかな。これじゃあ相沢みたいだ。


「講演会?」
「そ。今度の日曜日」
 俺が夏休みで暇なので、大学の図書室で読書に耽っていた所、突然相沢から声がかかった。
「石橋教授の知り合いの作家がいて、その人の講習会なんだけど」
 相沢が、名前もよく知らない人の講習会に行くなんて……珍しいな。
「お前も行く?」
「ん、行ってもいいけど……なんでお前そんなに乗り気なの?」
 相沢はそれを聞くと、チッ、チッと舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「石橋っていえば、大学有数の呑み助で……」
 あ、なんか読めた。
「なにかあると教え子研究室に呼んで飲み会やってるんだよ」
「……で、今回も終わったらやると」
「ビンゴ!」
 相沢の元気な反応が阿呆らしくて、思わず顔を手で覆った。
「上手くいきゃ、ジュンも女の子と仲良く……」
「やかまし」
 いちいち五月蝿い相沢を止める。まったくこいつは……
「ふうん」
 周りの温度が2℃は下がった。この殺気がこもった声は……
「なゆ……」
「祐一、ホラ」
 そう、いつもよりトーンが低い声と共に、相沢は水瀬に蹴られながらどこかへ行った。
 かわいそうに……ご愁傷様、と手を合わせた。

 図書館の帰りにて

「どーすっかなぁ」
 俺は講習会に行こうか悩んでいた。なんせタダで避け飲めるらしいし。貧乏学生にはおいしい話だ。
 そう考えながら駅前を歩いていると、
「お」
 ちらっとゲーセンが視界に入った。
「こんなところにゲーセンができてら。いっちょいってみよ」
 独り言を言いながらゲーセンに入っていった。

「だぁっ!!くそっ!!」
 どっかの男が、筐体の前で悔しそうな声を出す。画面には『You Lose』の文字が。
「駄目だね。マジに強えぇよ、コイツ」
 と、連れが諦めの表情で負けた奴に言った。そいつらは他のゲームしよ、とか言いながら別の場所へと行った。
「…………」
 さっきの奴が負けたゲームは、ちょっと前まで少しやってた格闘ゲームだ。
「うーし、いっちょやってみっか」
 ちょっとした挑戦への興味が、俺をそのゲームへと駆り立てていた。


「…………」
 目の前にはさっきの奴と一緒の文字。
「つえぇ……」
 マジで。やはり俄か仕込みじゃ駄目のようだ。
 周りを見ながら席を立ち、今の今ぼこぼこにされた相手を見に行った。
 しかし、みんな上手いねぇ……そんな暇と金何所にあるんだか。
 と、裏へ回って見た相手は、
「「あ」」
 ボブカットの少女だった。


「しっかし、参ったな……」
 俺は人気の無い隣りの筐体に座りながら、栞ちゃんに話し掛けた。
 栞ちゃんはその声を聴きながらレバーを動かし、ボタンを押す。俺の不可能な動きで。
「栞ちゃんこういうの上手かったんだ」
「んー、昔、お兄ちゃんの相手していたらハマっちゃって……」
 そう言いながらも手は動かしてる。顔も画面に向いたまま。
「あ、でもいつも来ている訳じゃないんですよ!」
 そりゃそうだろう。浪人生だし……
「今日は、なんか……」
 そう言うと、ちょっと手が止まる。
「ちょっとストレス溜まっちゃってて……」
「…………そっか……」
 そりゃそうか、受験生だし、ストレスが溜まっても不思議はないか。
 当たり前だけど……栞ちゃんも人の子って事か。
「よし」
 そう言うと俺は席を立った。
「リターンマッチ。次は勝つ」
「…………簡単には勝たせてあげません」

 5連敗にて凹み上げた俺の完成。

「それで?」
「ん?」
 204号室では祐一と名雪がくつろいでいた。祐一は寝そべりながら本を読んでいる。
「行くの? 講習会」
「んー、行くよ」
「……ふーん」
 ちょっと不機嫌そうな名雪の声に、相沢は呼んでいた本を止め、座り直した。
「言っとくけどやましい動機じゃねーからな!」
「…………」
 祐一の弁解を聞いてもまだ不機嫌そうな名雪。顔も逸らしている
「誓って?」
 突然、右手を上げながら祐一の目を見る。
「お……押忍」
 ちょっと遅れながら祐一も左手を上げる。
 じぃーっ
 嘘かどうか確かめるように、ずっと祐一の目を見る名雪。
 祐一引き気味。
「っ、はぁ……」
 祐一が溜息をつく。騙せないな、という感じで。
「……実を言うとこういう機会に北川に出会いのキッカケでも、と。」
 名雪がちょっと意外そうな顔をする。
「やっぱアイツって俺らに気ぃ使ってるしさ……」
 そう祐一が言うと、名雪もバツが悪そうに手を頭に触れさせる。
「……確かに。わたしもここに来るのを控えなきゃ、って思ったりするんだけど……」
「んで、アイツ結構オクテだからさ、俺が誰か紹介しようかと思って」
 そう言うと、煙草を取り出して火をつける。
「ま、あいつが行かないなら俺も行かねぇよ。正直強引かもしれないけどな」
 はぁー、と紫煙が口から吐き出される。
「やっぱし、俺の身勝手だよなぁ……」
「ん……」
 ちょっと名雪が考え込む。
「ま、いいんじゃないかな。やってみれば?」
 名雪はすぐに回答を出した。彼女なりの。
「ホントは、祐一が他の家見つけた方がいいと思うんだけど……」
 そのもっともな案にうっとする祐一。
 それを微笑ましい表情で見た名雪は、
「でもね……」
 祐一の背後に回って、
「やっぱし、やましい動機だよね」
 と祐一の首に腕をまわした。柔らかに。
「……スンマセン」
 祐一は顔が真っ赤だった。
「ただいまぁ」

「ただいまぁ」
「「!!」」
 ぱっと、名雪と祐一が離れた。

「お、水瀬、来てたの?」
「う、うん。おじゃましてます。はは……」
 ん? 水瀬も相沢もなんか顔赤いし、焦った感じだ。
「どーした?」
「や、なんでもないよぉ、ね」
 と水瀬が相沢に目配せ。
「ん」
 とそっぽ向きながら相沢。何してたか知らんが、まいっか。
「ふーん」
 俺は熱いのを紛らわすため、冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取った。
「あ」
 ふと、さっきまで考えてた事を思い出した。
「相沢、俺日曜パスするかも」
 すまん、と冷えたペットボトル片手に部屋に座る。
「……ん」
「えー……」
 と相沢、水瀬と反応する。
「水瀬、お前反対してなかったか?」
「あ」
 なんだろ? 大学では猛反対してたような……
「……、なんか予定ができたのか?」
 相沢が話題を変える。まぁ俺もそんなに詮索はしなくてもいいか。
「ん。そんなところかな……まぁ。」
 そう言って、ペットボトルの麦茶を飲む。やはり夏は冷たい飲み物に限る。
「んで、ちょっと相談あるんだけど、いい?」
 その言葉に、相沢と水瀬は目を合わした。


「……なるほどね。」
 と水瀬が理解を示してくれた。
「栞ちゃんも大変だね」
「アイツ、昔っから一人で溜め込む癖があるからな」
「で、皆でさ、どっか遊びに行こう、と」
 これがさっきまで俺が考えていた事だ。栞ちゃんストレス溜まっているらしいし。
 気分転換にもちょうどいいだろう。
「…………」
 水瀬が何か面白そうな物を見る目で、俺を見る。
「んだよ」
 俺が言う前に、相沢が水瀬の意味ありげな視線に突っ込んだ。
「いやぁ、なんて言うか……」
 水瀬がからかうような口調で、
「兄としてフクザツな心境だね……ってね」
 ぎょ。
「カンケーねぇよ」
「そーだよ!別に何も……」
 俺が続けざまに言い訳を言おうとする。相沢は我関せず……ともいかない様だ。
「何も……ねぇ」
 と水瀬に言われると、ぐうの音も出なくなった。

 この時、相沢が思った事とは。
 鬼……

 夜も更けて、夏でも辺りが暗くなり始めた頃、205号室では、

「わかってるよ……」
 栞が誰かと携帯で電話をしていた。栞の声が少し荒い。
「ん……うん」
 表情も何所となく寂しそうだ。
「……でも……」
「……え?」
 なにを話しているのか、ちょっと間が空く。栞一人しかいないので、その間しぃんとする。
「…………うん、わかった」
 そういうと、栞は携帯を耳から放し、通話を切った。
「……はぁ」
 そう言うと、ぺた、と床へ寝転がる。
「…………」
 その表情はとても憂鬱そうだった。

土曜日の朝

「…………」
 俺は205号室の前に立っていた。これから栞ちゃんをあの計画に誘うつもりである。
 しかし、このドアの前に立って、かれこれ15分は過ぎようとしていた。
 ……なに緊張してんだ、俺。
 なんつーか、自分で分かるぐらい小心者だな。

 がちゃ

「はっ」
 ちょっと考え事していたら目の前のドアが開いた。
「……あ」
 出てきた栞ちゃんの顔は、どこか憂鬱げだ。
「う……うす」
 その雰囲気に呑まれてか、あまり気の利いた返事が出来なかった。
 ますます小心者だな、俺って。
「すいません。今からちょっと出かけないと。」
「な……何かあったの?」
 どうも今日は栞ちゃんの様子がおかしい。いつものはつらつとした元気が嘘の様に、無い。
「…………実は……」
 その次の言葉は、俺にとって衝撃的なモノだった。
「付き合っている人が……、こっちに来てるって……」


「ん?」
 祐一は部屋に戻ろうと二階へ上がってきたところだった。廊下に祐一が見えた。
「なーにやってんだ……キタ……ガワ?」
 俺はもの凄くブルーだった。今なら夏なのに木枯らしが合う人間であろう。
「相沢……」
 俺は重い口を開くと、
「明日……やっぱ行くわ」
 作戦の失敗を報告した。

 つまりは、俺が心配する事ではない、と。
 そういう事か。

「んじゃ、乾杯。」
 杯を上げながら、石橋教授――いかにも酒好きなハゲ親父――は乾杯の音頭をとった。
 かんぱーい、と生気ある声が研究室に響く。ほとんどの人がこれ目当てだったらしい。

 俺は酒の入ったコップを手に、部屋の隅に座り込んだ。
 ……別にいいんスよ。
 栞ちゃんに彼氏がいるってのはさ……。
 いいなぁって思ってただけだし。
 案外そんなに好きって訳でも……

 …………

 畜生。

「おーい、どしたー?」
 声がした方向を見ると、相沢がいた。後ろに女の子連れてる。
「飲んでるかなぁ?ジュン君!」
「…………ほっとけ」
 ブルー満開の声でそう呟く。
「あ、あたしあっちにいくね。祐一君。」
 そう女の子が言うと、相沢は一人取り残された。
「…………」
「…………」
 大騒ぎしている部屋の中で、ここだけものすごく暗かった。
「なぁ、北川よぉ……」
 そういうと、相沢はしゃがんで俺と視線の高さを合わす。
「栞のことは忘れようや」
 どうやらばればれらしい。廊下でのやり取り見られたのか。
「気にしてなかバイ」
 なぜか九州出身に変わる俺。
「酒」
 と空になったコップを相沢に突き出す。
「……ハイハイ」
 相沢がそのコップを受け取って、酒を注ぎに行った。
「…………」
 みんな、不幸になっちまえよ。



「あああ……」
 俺は座りから寝転がりに変わり、天井の蛍光灯に向かって手を伸ばした。
「キモチワルイィ……」
 手が、震えてる。しかもその震えが、遅れて感じられる。完璧に悪酔いしていた。
 相沢はちびちび酒を飲んでいた。仕方なさそーな表情で。
「……そりゃさ」
「あ?」
 もう最悪だ。酔ってて自分が何言うか予想がつかない。多分思った事を言うんだろうけど。

「……嫌なんだよ」
「小心者の自分も、不貞腐れた自分も」
「酒の勢いで本音吐いてる情けねぇ自分も……」
「……ウザイんだ。そんなの」
 ほんと、ウザッタイ。

「おおーい、ユウイチィー」
 石橋の呼び声が聞こえる。相沢は、どうやらこの人の飲み会によく出るらしい。
「はーい」
 そう相沢は返事をすると、俺の方を立ったまま見下ろした。
「ま。誰でもあんじゃねぇの? そういうとこ」


 飲み会終了
「大丈夫か?」
 飲み会も終わって、片付けもあらかた済んだ頃、二次会の誘いがかかり始めていた。
 相沢はさっきまで悪酔いしていた俺を心配してくれている。
「ん、だいじょーぶ。もう酒は抜けた抜けた」
 相沢はまだ心配そうな顔をしている。意外と心配性なんだな……妹が、いるからだろうか。
「気にしないで行ってこいよ」
 多分大丈夫な顔で入れたと思う。多少は悪酔いが残ってるから、万全とは言えないけど。
「んじゃぁ……」
 そして、気をつけろよといいながら、相沢は二次会へと向かって行った。
 ……ありがと。相沢。


 歩いて帰りながら、夏にしては少し冷たい夜風に当たって酔いを冷ましていた。
 ちょうど、駅前の商店街を出て、みどり荘に向かう途中の大きな橋の上を通りかかった。
「……あーあ……」
 なんだかんだ言って、まだ飲みの時の後悔を味わっていた俺は、前の方に人がいるのを見かけた。
「あれ?」
 あれは……
「栞ちゃーん」
 できる限り明るめな声で、前にいた栞ちゃんに呼びかけた。
「あ……」
 でも、振り返った栞ちゃんは、その栞ちゃんの目は、涙で潤んでいた。
 すぐに手の根元で目を拭う。
「…………」
 俺は、栞ちゃんが泣いているという事しか分からなくて、その理由なんて考える余裕が無かった。


 橋の上で、俺は手摺に腕を乗せ、栞ちゃんは座り込んで手摺に背中を預けていた。
 等間隔に立っている街灯が、俺たちを仄かに照らしている。

 ずっと沈黙している。10分は経っただろうか。
 この状況ってやっぱり……

『付き合っている人が……』
 ……関係の人だよなぁ……
 俺って、はっきり言って無力。

「私ね……」
 静かに、夜の静けさに飲み込まれる様な、静かな声で栞ちゃんが話し始めた。
「私、入試の日、風邪ひいちゃったんです。」
 何の話だろうか……泣く事と関係があるのだろうか。
 そのまま話を聞く。
「毎日無理をしていたからかな……当日になって急に……自分で管理しないといけないのに……」
 しゃがんでる足を手で押す。足は動かさないので上半身が突っ張る。
「……だからかなぁ」
「え?」
「浪人から抜け出したい気持ちで一杯で、焦って勉強して……」
「全然落ち着かなくて、落ち着く時なんか無くて、友達とも上手く話せなくて……」
「彼氏にも愚痴ばっか言ってました」
 ちょっと、間。

「……別れちゃいました」

 ちょっと、間。

「……別れちゃいました」

 今までの話から見ると、当たり前の結果なのに。俺は顔をしかめた。
「……あの人、高校の頃から付き合ってて……」
 斎藤って人なんですけど、と言った。
「でも、地元の大学に行っちゃって……」
「だんだんすれ違ってて……」
「昨日、あれから会いに行って……」
「でも、……」
 もう、目は開いてなくて。両手で薄暗く光ってる前髪をくしゃっ、と掻き揚げて。
「もう……会えないって……」
 すでに閉じた目には涙があって、頬にも流れてて。街灯に反射して少し光る涙。

 ……くそ
 なんでだよ……










 あれから泣き止んだ栞ちゃんを隣りまで送っていった。


「御免なさい。あんな話して……」
「……いや」
 上手く話せない。ずっと気まずい雰囲気が二人の間に流れていた。
「それじゃ、おやすみなさい……」

 バタン、と205号室が閉まる音。

 溜息を一つ。

『今年は絶対合格しますよ』
 そう言って、むかつくほどの夏の晴れ空に似合った笑顔。
『簡単には勝たせてあげません』
 と、意外な一面を見せて誇らしげなその表情。
『もう……会えないって……』
 そう、泣いて、眉をひそめた、夏の闇に消えていきそうなその泣き顔。

「はぁ……」
 廊下の手摺に肘を突き、こめかみを手で覆って。

 なんて顔見せんだよ……
 栞ちゃん……


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