カン、カン
 傘を閉じながらアパートの階段を上がっていくと、204号室の前にに栞ちゃんが立っていた。
「あ、栞ちゃん」
 ふ、と彼女がこっちを向く。
「あ」
「こんにちわ」
「……こんにちわ」
 栞ちゃんはそういうとペコッと頭を下げ、俺を通り過ぎると階段を下りていった。
 カン、カンと金属製の階段の音を聞きながら、溜息をつく。
 どう見ても、避けられてるよなぁ……俺。
 あの日から、栞ちゃんとの間に気まずい壁が出来上がってしまった。
 挨拶などは交してくれるものの、前の様に会話する事など皆無に等しかった。
「はぁ……」
 だからだろうか、もう自分ではどうしようも無いぐらいに、彼女に惹かれていく。
 突き放されると、それに比例する様に彼女を気にしてしまう。
 これじゃあ……変な人だろ。
 もう一度溜息をついて、俺は自分の部屋のドアへと歩いていった。
 
 ガチャン!

 いきなり目の前のドアが開いた。205号室の。
「祐一なんて、もう知らない! さよなら!」
 むちゃくちゃ怒った様子で、水瀬が部屋を出てきた。
「勝手にしろ。じゃあな!」
 開け放たれたドアの奥から、同じように怒った様子の声が聞こえる。相沢の声に間違いはない。
 すると水瀬は、廊下に立て掛けてあった傘を乱暴に引っ掴み、廊下を走って来た。
「おい、水瀬?」
 俺を通り過ぎる。彼女の髪が綺麗に、哀しそうに広がった。
 でも通り過ぎる時に見えた。彼女が泣いているのを。
 カカカカ……
 足早に階段を降りる音が聞こえる。
 俺はまた溜息を吐くと、傘を廊下に置いて、開けっ放しのドアから部屋を覗き込んだ。
 部屋には、不機嫌そうに煙草を吸う、相沢がいた。
 サア――――――――
 秋雨の音が、嫌に耳に入ってきた。












君と一緒に……

Vol.3〜autumn〜














 水瀬がぱったりと部屋に来なくなってから、半月が過ぎた。今は大学の講義を聞いている。



 ちらっと水瀬を見た。彼女はあの日からそれほど経たない内に、長かった髪を切っていた。
 今は真面目に講義を受けているが、どうしても哀しい雰囲気が付きまとう。
 ……最近、水瀬は会話が少なくなった。
 それを心配してか、周りの女友達も色々心配するのだが、大丈夫だよ、と強がってみせていた。
 隣を見る。誰もいない席。相沢はあの日から大学に来なくなった。
 家で煙草を吸っている日もあれば、どこかでぶらぶらしている日もある。
 どうも、今までの口喧嘩とは訳が違うのだと、気付いていた。

「なあ、相沢」
「んだよ。北川」
 帰ってくると、相沢は俺の部屋でいつもの様に煙草に耽っていた。俺はあぐらをかいている
「水瀬とのことだけどさ」
 相沢は不機嫌そうな顔を、更に都合が悪そうにしながら、寝転がって背中を向けた。
「一体何があったんだ?」
「…………」
 無視してる。
「やっぱ、別れたのか……?」
「…………」
 その沈黙は肯定の意味を含んでいるように感じた。
「何が原因で……」
「うるせぇ!」
 相沢の怒声にびくっ、と体が硬くなる。
「いちいち水瀬との事を俺に言うな。うざったい!」
 ……呼び方が水瀬に戻ってる。やはり別れたのか?
「……分かった。すまないな」
 そう言うと俺は腰をあげ、玄関で靴を履く。
 外に出たかった。いい加減こんな空気の部屋、抜け出したかった。
「外に出る」
「ん」
 まだ不機嫌そうな声に背中を押され、外へ出た。
 外では、また秋雨が降っていた。




 俺は傘を差したまま、あてもなく駅前をうろついていた。
 雨が降っている為か、駅前も何所となく活気が少ない。
 俺は憂鬱な気分のまま、歩いていた。
「ん……ここは」
 ふと、足を止めた所は夏に寄ったゲーセンだった。ここは相変わらず煌びやかな音と光で溢れている。
「寄ってみるか……」
 俺は嫌な気持ちが少しでも晴れたらと、ゲーセンへと入っていった。


「ああ、くそっ」
 目の前には『GAME OVER』の文字。馴れないシューティングなんてやった結果だった。
 俺は更に暗くなりそうな気分を、頭を振って誤魔化し、他のゲームを探し始めた。
「お、あれは」
 と、俺の目の前にあるのは、栞ちゃんが上手かった格闘ゲームだった。
「もうこんなところに来ちゃったんだな」
 俺がいるのはゲーセンの端っこの方だ。周りには、いかにも人気がなさそうなゲームで埋め尽くされていた。
 まるで、筐体の画面から出ているデモが、ゲームをしてくれないうめきの様に聞こえて……
「……ってこれじゃあ鬱病になっちまう」
 そう思って、俺はもっと人気のありそうなゲームを探した。

 そうして俺は、人気のありそうな格闘ゲームをやり始めた。
 弱いコンピューター相手に、やり方のコツを掴み始めた頃、誰かが乱入してきた。
 キャラを選ぶのにうろうろしているのを見ると、向こうも初心者の様だ。
「よっしゃ、いっちょ勝ってやる!」
 そうやって腕をまくると、ようやく決まった対戦相手に向かって、レバーを握った。


 ちくしょう、なんでなんだよ。
 俺はデモムービーの前で一人燃え尽きていた。
 最初は、相手が初心者だったので、多少手加減して戦っていた。
 ところが、相手が操作のコツを掴んだ瞬間、あれよあれよといまにやられていた。
「はぁ……やってらんねぇ」
 そう言いながら席を立ち、誰が相手だったんだろう、と筐体の反対側へ行くと、
「「あ」」
 そこには栞ちゃんがいた。

 俺は栞ちゃんの隣に座って、彼女が戦っているところを眺めていた。
 さすがに彼女も、ゲームの途中を放り投げて逃げるのは勿体無いと思ったのだろう。
 俺はとにかく逃げられない事に安堵を覚え、栞ちゃんの顔を見る。
 可愛い……
 じゃなくって!
 俺のなかで訳の分からない葛藤をしている間、彼女はもうボスを倒し、エンディングを迎えていた。
 初回プレイでクリアーとは……侮れないな、やっぱり。
「……お兄ちゃん、名雪さんと別れたんですか?」
 ふと、画面をみたまま話し掛けてきた。
「何で知ってるの?」
「……喧嘩してたのを聞いてたし……何より私の側を泣きながら走り去っていきましたから」
「そっか……」
 あの日のことだろう。あんな大声で叫んでいたら、隣りの部屋にも聞こえるはずだ。
「やっぱり別れたんですか?」
 と、今度は俺の目を見てきた。
 その目は、真剣な意思を宿していた。同時に哀しい気持ちも。
「一緒に帰ろっか。栞ちゃん」
 そう言うと、俺は傘を持って出口へと歩いていった。
「待ってください。北川さん」
 何日ぶりだろうか。彼女に名前を呼ばれたのは。



「というわけなんだ」
 俺は栞ちゃんと帰りながら、さっきの部屋での出来事を伝えた。
「やっぱり別れちゃったんですかね……」
「そうかもしれない……水瀬も髪切ってたし」
「切っちゃったんですか!? 名雪さん!」
 栞ちゃんがビックリした表情でこっちを向いてきた。お互いの傘がちょっとぶつかる。
「ああ。ばっさりと」
 いきなりの反応に、ちょっと引きながら答える。
「それじゃあ……本当に……」
 視線を落としながら、寂しそうにする。
 ……自分の別れと重ねているんだろうか。
「……お兄ちゃんは最近どうしています?」
 と、顔を上げて聞いてきた。
「ん……なんか、煙草吸ったり、外をふらふらしたり。大学には最近全く来てない」
 俺はありのまま、相沢の事を彼女に伝える。
「…………北川さん、協力してくれませんか?」
 少し考えた込んだ後、そんな事を言ってきた。
「はい?」
「お兄ちゃんと名雪さんを元に戻すんです!」
「元って……恋人同士って事?」
「そうです。名雪さんも、お兄ちゃんも、絶対後悔してます。だから……」
「……どうなんだろう。余計なお節介じゃあ……」
 そういうと、はた、と止まり、栞ちゃんが視線を落とす。そして、
「……私の二の舞はさせたくないんです」
 と、ぽつりと呟いた。
「……分かった。」
 俺は、彼女の気持ちに動かされ、協力を了解した。

 次の日、俺は朝から街を歩いていた。

 俺は水瀬を探していた。

 あれから、栞ちゃんは俺が水瀬を、彼女は相沢を説得する事を提案した。
 俺はその案に賛成した。あの感じでは俺が説得するよりも栞ちゃんに任せた方がいいと思ったから。
 なんせ兄弟でもあるし。栞ちゃんなら、しっかり説得してくれるだろう。
 俺は一回大学に行ってみたが、今日は来てないと聞き、彼女の家も朝から出ていると聞いた。
 それなので、俺は今駅前を探索していた。

 くそっ、どこにいるんだ? 水瀬の奴は。
 あ駅前を色々と探してからもうかれこれ2時間が経った。
 空には曇り空が広がってる。雨が昨日降ってたからだろう。
 ぐぅぅぅぅ……
「……腹減った……」
 仕方ないので、俺はたまたま目に入ったラーメン屋で昼飯を食う事にした。

「らっしゃい!……って北川?」
「お! 久瀬!」
 ラーメン屋で気前いい声を掛けてきたのは、高校の時の友人、久瀬だった。


「何にする、北川」
「じゃあチャーシュー一つ」
「了解。おやっさん、チャーシュー一つ!」
「おう!」
 と、厨房にいるおやじ――おやっさんが声を張り上げると、調理に取り掛かった。
「にしてもお前がラーメン屋でバイトとは……似合わないな」
「ふん。言われると思ってたよ」
 高校の頃、こいつは生徒会長をしていた。それなりに人気で、様になってたもんだ。
 でもアイツの大学はここからは少し遠かったような……
「元生徒会長が『おやっさん』、『らっしゃい』か……プッ」
「うるさい!あの人はそう言わないと雇わないといったんだ!仕方ないだろう!」
 顔を真っ赤にしてブツブツ言う久瀬。頭に巻いた赤いバンダナが意外と似合っている。
「お前なら家庭教師でもやってると思ってたが」
 受験生の部屋で、必死に勉強をしている側に立っている奴を想像する……似合いすぎた。
 受験生は男。女だとむかつく。
「たまたまここのラーメン屋に来てな。」
「ほう、でそれと今の状況とどう繋がる?」
「旨くてな。それでここのバイトを始めた」
 へぇ。こいつは意外と凝り性だからな。
「で、ここを継ぐってか?」
 俺は笑い飛ばしながら冗談を吐いた。つもりだった。
「……それも考えてる」
「へ?」
 俺はすっとぼけた顔をする。
「それだけ美味いってことだ。客はいないがな。おやっさんが頑固なのが原因だ」
「一言多いぞ、久瀬! ほい、チャーシュー2つ!」
 と、目の前に置かれる2つの器。旨そうな臭いが空いた腹を強調させられる。
「え? 一つだけのはずですが?」
 そういうと、おやっさんは後ろを向きながら、
「久瀬の知り合いなんだろう。なら久瀬と食べながら懐古してろ」
 と渋い声で言ってきた。
「ありがとう。おやっさん」
「すみません。少し休憩をもらいます」
 と久瀬はバンダナを取った。昔からの長めの髪が変わってないな、と思う。
「あ、久瀬は給料から差し引きな」
「げ……」
 と久瀬は嫌そうな顔をする。
 げ、なんて昔のアイツなら言わなかったのに。
 変わったな、とさっきとは反対のことを思ってしまった。

「で、お前は何を悩んでるんだ?」
「は?」
 ラーメンを啜りながら唐突に久瀬が聞いてきた。
「何の事言って……」
「3年はお前の友人をしていたんだ。それくらいの事は分かる。」
 舐めてもらっては困る、と憮然とした表情で言った。
「そっか、じゃあ聞いてくれるか?」
「ああ、元友人の誼みだ。聞いてやろう」
「元友人とは酷いな」
「ふん、1年も会わないのなら元で十分だ」
 俺はやっぱり変わってない奴の態度に笑みを零した。
「なんだ、いきなり笑って」
「いや、やっぱり元、だな」
 そうだ。これからは……
「これからは親友だ。久瀬」
 と俺は久瀬の方に手を差し出した。
「ふん。まぁその申し入れ、受け取ろう」
 と握手した。これで、俺は久瀬という新たな親友を得た。
「その前にラーメンを食え。伸びたのは旨くない」
 と、仕込みをしながら、おやっさんが憮然と言ってきた。
「客なんぞ少ないし、来ないからな」
「……久瀬、タダ働きがそんなに好きか」
「すんません」
 俺はその素直に謝る久瀬が面白くて笑った。




「……というわけだ」
 久瀬は黙ったまま水を飲むと、こっちを睨んできた。
 俺はありのままのことを久瀬に伝えた。栞ちゃんのことは言わなかったが。
「なんだよ」
「……昔から変わらないな。お前は。自分の事がまとまってないくせに他人の世話を焼く」
「うるさい」
 今度は俺が憮然な表情で言った。
「好きなのだろう? その栞ちゃんという娘の事が」
 俺はビクッとし、久瀬の目を驚いた表情で見た。
「なんで分かる?」
 それを聞いて、久瀬は溜息を漏らした。
「そこも変わらない。君は素直な人間だ。特に恋愛ごとに関しては、な。」
 そう言うと、またコップを口に運んだ。
「で、お前はどうしたんだ?」
 と、コップを口から少し離し、俺に問い掛けてきた。
「どうって……」
「水瀬という娘を説得するのだろう?」
「ああ、だからどうすればいい? どうやって俺は水瀬を説得すれば……」
 俺は自分自身の無さに苛立ちを感じつつあった。
「大丈夫だろう。お前なら」
 と、意外な事を久瀬が言ってきた。
「は? なんで」
「素直なところが君のいいところだ。それに好きだったのだろう、その娘のことを」
「あ、ああ」
 今は違う娘が好きだが、その気持ちに嘘偽りは無かった。
「なら君が思う事をすればいい。それで説得できるさ」
 と言って久瀬は席を立った。
「おやっさん、入ります」
「おう、好きにしな」
 そう言ってバンダナとエプロンをつけ始める。
「だからとっとと探してこい。ここの代金は俺持ちだ」
 と横開きの出入り口を開けた。ラーメン屋らしいガラガラと言う音がする。
「いいのか?」
 その質問は2つの意味を込めて。
「いい」
 その回答も2つの意味がこもってて。
「ありがと、久瀬」
 そういって俺は外へ出て行った。

 ……と、出てすぐに振り返った。
「ラーメン、旨かった」
「「当たり前だ」」


 ガラララ……ピシャン
「北川も世話が焼ける……これも変わってなかったな」
 そう言うと久瀬は出入り口を閉めた。
「ということなんで、俺の給料から……」
「おごりだ」
「へ?」
 おやっさんのいきなりの台詞に久瀬は分からない、という顔をする。
「いいモン聞かせてもらった。若い頃を思い出したからな……おごりだ」
「おやっさん……ありがとうございます」
「でも『客がいない、来ない』発言は給料から天引きな」
「ぐは」
 そこには引きつった、何所となく優しい笑みを浮かべながらのけぞる久瀬の姿があった。






 はっ、はっ――

 俺はあれから水瀬を探して町を走っていた。
 どうやら駅前にいないことは分かった。
 いま俺はみどり荘の周りを探している。
 なんとなく、こっちにいる様な気がしたから。
 なんとなくで見つかりゃ苦労は無いんだが……

「おっ」
 なんとなくで見つかった水瀬は、あの公園にいた。
 夕焼けが、周りを赤く染めていた。
 彼女はぼぉっと空を見上げている。
 俺は荒い息を落ち着かせると、静かに彼女の側へと歩いて行った。

「水瀬……」
「北川君」
 彼女は空を見上げたまま、小さく声を漏らした。
「どうしたの? その汗だくの格好」
 ちらっと視線を俺に向けて、そう言った
「探してたのさ、水瀬を」
「私を?」
 俺は気持ちと、表情を真剣なものに正した。
「相沢とは……もう駄目なのか?」
 水瀬はその言葉に反応を示さない。ただ、空を見ている。
「なあ、やっ……」
「私ね、」
 いきなり顔を下げ俺の目を見る。
 不意な行動にドキッとした。
「祐一から喧嘩別れして、ずっと心の中が曇ってた」
 だから空をずっと見てたんだ……自分の心境と曇り空が似てたから。
「そんな気持ちが嫌で、変わろうって髪を切ってみた」
 髪を切ったのはそれが理由だったのか。
 栞ちゃんほど短くはないが、前の彼女からすればずいぶん短い髪が、今は痛々しく見える。
「でも、駄目だった。まだ曇りは晴れないんだよ」
 自嘲気味に彼女は笑った。その表情は切られた髪異常に、痛々しい。
「なんでだろう? 北川君」
「……それは、まだ相沢が好きなんだと思う」
 彼女自身分かってるはずだ。なのになんでそれを認めようとしないんだろうか。
「相沢の事、許せないのか?」
 俺は何のことで喧嘩が始まったか知らない。相沢もその事については頑なに喋らなかった。
 しかし、彼女は顔を振る。
「許せないわけじゃないよ」
「ならなんで……」
「でも、許せない」
「……矛盾してるぞ。もの凄く」
「分からないよ。自分でも」
 そう言って、水瀬は再び空を見上げた。
「…………」
「…………」
 しばらく沈黙が公園を支配する。


「じゃあ、相沢は好きか?」
 ちょっとした沈黙のあと、水瀬に再び質問をする。
「……好きだよ」
「どうしようもなく?」
「どうしようもなく」
 なんだ……
「この何日かで分かったんだ。やっぱり祐一が好きだって」
「じゃあ、ここにいるのって……」
 こっちに顔を向ける。
「うん。祐一に会いたくて」
「じゃあ、なんでこんなところにいるんだ?」
「不安なの。祐一が、もし私の事を嫌いだったらって」
 当然の不安だと思う。喧嘩別れした相手が、まだ自分のことを好きなんて思うのは傲慢だ。
「それなら大丈夫さ」
「本当?」
 不安そうな顔に変わる。
「ああ。だって、相沢も……」
 そう言いながら、笑顔を水瀬に向ける。
「まいってるみたいだから」
「祐一も、後悔してるの?」
「ああ、あれは相当後悔してる」
 だって、むちゃくちゃ沈んでたし、自暴自棄になってた。
 あれで水瀬が嫌いと言っても説得力がない。
「そっか……」
 と、いきなり水瀬が涙を流した。
「水瀬……」
「あ、ごめんね。なんか安心しちゃって……」
 と、片手で涙を拭う。
 でも、涙は後から後から流れてきて……
「あれ、あれ」
 と言いながら、流れる涙を拭っていく。
「止まらないよ……」
 と言いながら、いきなり俺の胸に顔を預けてきた。
「み、水瀬!?」
 俺は水瀬のいきなりの行動に、しどろもどろになる。
「ごめんね……でも、ちょっとだけ」
 そう言うと、俺の中でしゃくりあげ始める。
 俺は、無言で水瀬の肩に手を置いた。

 ぽつ、ぽつ
 と、

 さぁ――――
 雨が降ってきた。

 さぁ――――
 雨が降ってきた。

 俺は濡れるのも構わず、水瀬が泣き終わるのを待っていた。
 もう夕日も暮れ、街灯がちらほらと着き始めた。

 ばさっ
 なにか、横の方で物音がした。俺はその方向へと顔だけを向ける。

 そこには、呆然とした表情の栞ちゃんがいた。

「あ……」
 なんでビックリしてるんだろう。
 と、視線を前に戻す。

 と俺が言ったのを皮切りに、ばっと振り向いて走っていった。
 やばい、絶対誤解されてる。
「え? 栞ちゃん?」
 と、彼女も俺の胸に傾けていた顔を上げる。
「あ、水瀬……俺……」
 水瀬にしどろもどろな様子で声を掛ける。
「ん、行ってきて。」
 雨に濡れてよく分からなかったけど、その大きな目はもう泣いてなかった。
 ……赤く腫れてはいたけど。
「ありがと。水瀬……行ってくる」
 俺は水瀬の肩から手を離すと、公園の出口に向かって走っていった。
 栞ちゃんが落とした傘が目に入る。
 差してたんじゃあ邪魔だ!
 そう判断すると、栞ちゃんの去って行った方向へと向かおうとする。
「北川……」
 と、俺に声をかけてきたのは傘を差した相沢だった。
「相沢……」
「悪ぃ。迷惑ばっかかけて」
 と、後頭部を掻きながら視線を逸らす。
 栞ちゃんの説得は上手く言ったようだった。
「気にするな、それよりももう手放すなよ」
「ああ……」
「今度やったら俺がいただくからな」
 と、軽く冗談を言ってみる。
「それはお前には無理だ」
「?」
「分からないと思ってるのか? 栞との事」
「ぐは」
 思わぬ反撃を食らってしまった。
 やはり俺って分かり安い奴なんだろうか……
「だからな、行け。俺の妹を泣かしたんだからな。タダじゃすまないぞ」
「ああ、すまない」
「そう思ってるんならすぐ行け」
 しっしっと手を振る相沢に手を上げると、栞ちゃんが走った方向に走っていった。
 栞ちゃん……

「しっかし、あれに気付けないとは。栞は相変わらず鈍感だ……」
「祐一……」
 公園の入り口で北川とのやり取りが終えた後、水瀬はその場を動かずに愛しい人の名を呼んだ。
「名雪……久し振りだな。髪、切ったんだな」
 祐一が、名雪の濡れた髪を梳く。
「うん。それより見てた? さっきの」
「ああ」
「嫉妬した?」
 そう言う水瀬が見上げた視線を、祐一は真正面から受け取れず、逸らしてしまう。
「ああ。した」
「へへ。そうなんだ」
「ああ。もうあんなことするな」
 と、傘を水瀬の上に差し出した。
「寒いだろ、名雪」
「うん。寒い」
 そう言うと、水瀬は傘を握ってる祐一の手の上から握った。
「でも、祐一は暖かいね」
 柔らかい微笑を見せた名雪に、祐一は顔を赤くする。
「あー、あれだ」
「ん?」
「いまさっきの、撤回」
「あんなことするなってこと?」
「ああ。俺だけなら許す」
「祐一……」
 と、祐一は名雪を抱きしめた。その拍子に傘も放り出される
「濡れちゃうよ」
「もう関係ない」
「そうだね」
 秋雨の降る公園には、抱き合った二人の姿しかなかった。


 はあ、はあ、はあ……

 俺は栞ちゃんを探して駅前の商店街を隅から隅まで探していた。
 くそ、運動不足がこんなところで……
 さっきまで水瀬を探すために走っていたため、俺の体は限界を訴えて始めていた。
 体にひっつく服がうざったい。

「もうこれでここら辺は全部だぞ……どこにいるんだ、まったく」
 と、あの橋が思い浮かぶ。
「くそっ、駄目でもともとだ!」
 俺は、栞ちゃんが彼氏との別れを言って、泣いたあの橋を目指した。

 ――いた――
 どうやら、今日の俺の感はすばらしく冴えているようだった。
 橋に立っている街灯の下で、栞ちゃんは膝を抱えうずくまっている。
 
「栞ちゃん」
「…………」
 おでこを膝に乗せてるため、表情は見えない。
「なぁ……」
「なんだかんだ言って、結局……」
 彼女は顔を伏せたまま話しはじめる。
「名雪さんとくっつきたかったんですね」
「な……」
「説得するふりをして、口説くなんて……最低です」
「栞ちゃん、誤解だよ。それは」
 俺は優しく言いながら、濡れてびっしょりの肩に手を乗せた。
 ビクッと体が跳ねる。そのあと、すぐに顔が上がった。
 ……泣いてる。
「そうやって名雪さんを口説いたんでしょう!?」
 彼女は俺の目を見て叫ぶように質問する。
「違う、それは誤解だ!」
 俺も誤解だと言う事を必死に伝えようとする。
「じゃあ、なんだったんですか! 公園でのあれは!」
「あれは、水瀬がちょっとだけって……」
「そういう風になるようにしむけたんでしょ!」
 彼女は立ち上がって、手を振り上げる。
「最っ低!」
 ぱぁん

 と音はならなかった。
「え……」
 俺は栞ちゃんが手を振り下ろす前に、抱きしめていた。
「な、何を……」
 振り解こうともがく栞ちゃんを、逃すまいと力を込める。
「俺は……」
「え?」
 と、暴れるのを止めた。
「例え、水瀬が相沢を捨てて、付き合おうと言っても」
 栞ちゃんの体が固くなる。
「付き合わない。絶対に」
「な、なんで……じゃああれは……」
「あれは、相沢が水瀬の事を好きだというのを知って、安堵して泣いただけだ」
 秋雨が冷たい。栞ちゃんがあったかい。
「それで、目の前の俺に泣き顔を見られたくなかったんだろう、と思う」
 栞ちゃんは今まで上げていた手を下ろした。
「じゃあ、なんで付き合わないって……」
「それは……」
 栞ちゃんの耳元で、しっかりと伝えた。

「栞ちゃんの事が好きだから」
 秋雨の降る、夜の告白だった。


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